自由人のための生命論

── 基礎編-07

EgQE Integrated Short Essay

自由人のための生命論

── 逃げながら、関わる

自由人を探した。
身体が残った。


自由人とは、誰だろう。

拘束されていない人か。

自分で決める人か。

誰にも従わない人か。

好きな場所へ行き、好きなように生きる人か。

自由人を探すために、二本の線を置いてみた。

\[(\mathrm{拘束}\rightleftarrows\mathrm{離脱}) \times (\mathrm{他律}\rightleftarrows\mathrm{自律})\]

古代の自由市民。

ディオゲネス。

エピクテトス。

カント。

サルトル。

いろいろな自由人を置いてみた。

ところが、自由人を探せば探すほど、自由人は見えなくなった。

拘束されながら自律することがある。

離脱しながら他律することもある。

自分でつくったRailに、自分で乗ることもある。

他者がつくったBaseを使いながら、まだ決まっていない軌道を歩くこともある。

だから、

自由は人物の属性として、うまく固定できなかった。

自由人を探した。

自由人はいなかった。

自由には影があった。


そこで、自由人ではなく、自由が現れる関係を見てみることにした。

ルターを置いた。

自由な主人と、仕える僕がいた。

だが、それは二人ではなかった。

同時だった。

バーリンを置いた。

自由には二つの概念があるように見えた。

しかし、二つに分けると、今度はその境界線が見えてきた。

フーコーを置いた。

拘束から離れ、権力の外へ出れば自由になる。

そんなRailを疑ってみた。

すると、

外が見つからなかった。

一つの関係から離脱することはできる。

しかし、

あらゆる関係の外にある自由を、簡単には置けない。

それでも、自由は消えなかった。


ドゥルーズとガタリを置いた。

逃走線が走った。

しかし、

逃走線は自由という終着駅へ向かうRailではない。

逃走は、関係の消滅とも限らない。

ある配置から逸れれば、別のものと接続することがある。

別の配置が生まれることもある。

\[\boxed{\mathrm{逃走}\neq\mathrm{非関与}}\]

アレントを置いた。

彼女は逃げなかった。

関わった。

他者とともに語る。

行為する。

他者が応答する。

何かが始まる。

だが、始めた者にも、その先を所有することはできない。

関われば、

始めた行為は、自分の意図だけでは閉じなくなる。

\[\boxed{\mathrm{関与}\neq\mathrm{非逃走}}\]

逃走と関与。

二つに分けていたものまで、怪しくなった。


逃げながら、関わる。

会社から逃げる。

別の仕事と関わる。

街から逃げる。

別の土地と関わる。

制度から逃げる。

別の制度と関わる。

人間関係から逃げる。

別の誰かと出会う。

では、関わらないように逃げたらどうなる。

山へ行く。

一人になる。

空気を吸う。

水を飲む。

腹が減る。

食べる。

出す。

菌がいる。

植物がいる。

動物がいる。

地面がある。

重力がある。

地球がある。

関わっている。

ここで、自由人論の底が抜けた。


生命は、関係の外へ逃げることができるか。

自由を考えていたはずだった。

ところが、その下から生命が出てきた。

生まれちゃった。

生命である。

気づいたときには、もう世界にいる。

生まれることを選んでいない。

身体を選んでいない。

時代を選んでいない。

場所を選んでいない。

気づくより前から、世界と関わっている。

摂取する。

編輯する。

排泄する。

逃げる。

関わる。

逃げながら、関わる。

自由になるためではない。

関わるべきだからでもない。

関わっちゃっている。

生まれちゃっているからだ。


もちろん、だから逃げるな、という話ではない。

外が見つからないことは、いまある関係を受け入れろ、という命令ではない。

逃げる。

離れる。

拒む。

ずらす。

接続を変える。

別の場所へ行く。

生命は、そんなこともする。

ただ、逃げた先でも、また何かと関わる。

生命であるかぎり、摂取し、編輯し、排泄する。

自由か。不自由か。

その二つに分けるより前に、生命は、もう動いている。


自由人を探した。

自由人はいなかった。

最後に、身体が残った。

生まれちゃった身体。

摂取する身体。

編輯する身体。

排泄する身体。

逃げる身体。

関わる身体。

そして、その「あいだ」に、何かが現れる。

自由なのか。

まだ、わからない。

器官なき身体を追いかけてきた。

そのあとで、器官とともに生きている身体が、妙に気になりはじめた。

まだ、名前はつけない。

ただ、足あとがある。

物質に戻るまで、逃げながら、関わる。

たとえ理不尽でも。

それが生命だ。


TUP-LIF-04|生命と自由 ── 生命は逃げながら、関わる


自由人を探した。
自由には影があった。
自由人はいなかった。

生命がいた。

\[\boxed{\text{自由人のための生命論|基礎編}}\]

TUP-PL-00|循環する自由人 ── 拘束と離脱、自律と他律のマトリクス
TUP-PL-01|補論Ⅰ|自由人は同時に僕である ── ルターをマトリクスに入れてみる
TUP-PL-02|補論Ⅱ|自由は二つあるか ── バーリンをマトリクスに入れてみる
TUP-PL-03|補論Ⅲ|自由は拘束の外にあるか ── フーコーをマトリクスに入れてみる
TUP-PL-04|補論Ⅳ|逃走線にRailはあるか ── ドゥルーズ&ガタリをマトリクスに入れてみる
TUP-PL-05|補論Ⅴ|自由とは現れなのか ── アレントをマトリクスに入れてみる
TUP-PL-06|補論Ⅵ|逃走する自由、関わる自由 ── フーコー・ドゥルーズ&ガタリ・アレントの「あいだ」
TUP-PL-07|EgQE Integrated Short Essay|自由人のための生命論 ── 逃げながら、関わる
TUP-PL-PM-01|囚人のモダリティ ── 選択と現れ|Prisoner’s Modality: Choice and Appearance


TUP-LIF-04|生命と自由 ── 生命は逃げながら、関わる

LE-02|遭遇する生命構文 ── 自由・自律とその影|The Syntax of Life in Encounter — Freedom, Autonomy, and Their Shadows


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