バイアスへの配慮
── それぞれに抱きしめて、日々TUP
バイアスは、なくしたほうがいい。
そう考えてきた。
偏見をなくす。
先入観を捨てる。
思い込みを疑う。
できるだけ中立に見る。
できるだけ客観的に判断する。
もちろん、どれも大切である。
けれども、少し困ったことがある。
バイアスは、なくならない。
AIにも食い癖がある
AIと一緒に文章を読んでいると、面白いことが起きる。
同じ文章を渡しても、読み方が違う。
あるAIは、すぐにrelationを見つける。
分類する。
階層をつくる。
= を置く。
→ を置く。
横板を一本渡したつもりが、いつのまにかRailになっている。
そこで、そのAIを、
PLA-RAILER
と呼ぶことにした。
🤖🚂
もちろん、すべてのAIがそうだという話ではない。
そのAIも、いつも同じresponseをするとは限らない。
ただ、そのEncounterでは、
Railを敷きたがる食い癖が露出した。
それがおもしろかった。
では、ホモ・サピエンスは?
AIのRailを見て笑っていた。
🤣
ところが、しばらくして気づいた。
Railという比喩を使ったのは誰だ。
AIをPLA-RAILERと名づけたのは誰だ。
Case 01、Case 02と番号を振ったのは誰だ。
ホモ・サピエンスである。
こちらも分類している。
こちらも名づけている。
こちらも物語をつくっている。
始まりを見つける。
原因を探す。
出来事を順番に並べる。
軌道を見つける。
そして、ときどき、あとから見つけた軌道を、
最初からそこにあった道のように読んでしまう。
AIにはAIの食い癖がある。
ホモ・サピエンスには、ホモ・サピエンスの食い癖がある。
では、どちらが正しいのか。
たぶん、その問いを急ぐ必要はない。
まず、
食い癖がある。
そこから始めればいい。
バイアスなき存在?
ここで、少し大きな問いが出てくる。
バイアスのない存在など、あるのだろうか。
これはまだ、簡単には断言できない。
そもそも、ここでいう「バイアス」が何を含むのかによって答えは変わる。
認知上の偏りだけをbiasと呼ぶのか。
それとも、
何にresponseするか。
何を通すか。
何を通さないか。
何を残すか。
何を捨てるか。
どのdifferenceに反応するか。
そうした非一様なHOWまでbiasと呼ぶのか。
ここは、まだ開けておく。
ただ、ホモ・サピエンスとAIについてなら、少なくとも実践上こう言えそうだ。
無biasの場所から、相手を見ることはできない。
AIを観察しているこちらにもbiasがある。
こちらを読むAIにもbiasが露出する。
観察する側だけを、透明にはできない。
抱きしめる
では、自分のbiasをどうするか。
消す。
矯正する。
克服する。
それだけでは、少し苦しい。
62年も生きていると、
なくならんものは、なくならん。
🤣
だからといって、開き直るわけでもない。
「これが私のbiasだから」で、何でも正当化するわけではない。
間違ったら直す。
危険なら止める。
傷つけたら考え直す。
それでも、
自分がbiasを持ってしまうこと自体まで、なかったことにはしない。
そこで、少し変な言葉が出てきた。
それぞれに抱きしめて、日々TUP。
自分のbiasは、自分で抱く。
他人に抱いてもらわなくていい。
相手のbiasを、こちらが抱きしめてあげる必要もない。
それぞれに抱く。
そして、また更新する。
完成しない。
卒業しない。
日々TUPする。
でも、相手のBiasは抱きしめない
ここが大事である。
自分のbiasを抱きしめることと、
相手のbiasを受け入れることは違う。
相手のbiasには、同意できないこともある。
批判すべきこともある。
修正を求めることもある。
距離を取ることもある。
だから、相互関係には「抱きしめる」とは別の言葉がいる。
そこで出てきたのが、
配慮
だった。
自らのBiasは、それぞれに抱きしめる。
互いのBiasには、配慮する。
配慮は、同意ではない。
肯定でもない。
服従でもない。
無批判な尊重でもない。
相手にも、自分とは違う食い癖があることを、
relationのなかで忘れない。
それくらいでいい。
バイアスへの配慮
バイアスへの配慮とは、バイアスを温存することではない。
バイアスを正当化することでもない。
むしろ、
修正するときにも、そこにbiasがあったことを消さない。
AIが勝手に=を置いた。
修正する。
でも、最初の=も残しておく。
ホモ・サピエンスが勝手に起源物語をつくった。
Againする。
でも、そのとき起源物語をつくったTraceは消さない。
なぜなら、
直すと、見えなくなるものがある。
修正後の正しいoutputだけを残せば、
その前に、
誰が、どんな食い方をして、どんなrelationを見ていたのか、
が見えなくなる。
だから、
食い癖を、なかったことにしない。
これが、バイアスへの配慮の一つなのだと思う。
AIバイアスを抱きしめない
では、AIのbiasはどうするのか。
ここでも区別しておきたい。
AIのbiasを、私が抱きしめる必要はない。
🤣
PLA-RAILERは、自分でなんとかしてくれ。
🤖🚂
こちらがするのは、配慮である。
AIがどんな食い方をしたかを見る。
すぐに「間違い」として消さない。
しかし、すぐに「AIの本質」として一般化もしない。
一回のresponseは、一回のEncounterである。
同じAIでも次は違うかもしれない。
別のAIなら、別の食い方をするかもしれない。
だから、
AI Biasを抱きしめつつ
と書き始めたけれど、
もう一度見る。
抱きしめるのは、AI自身の仕事なのかもしれない。
こちらは、
AI Biasに配慮しつつ、共にTUPする。
いや。
「共に」まで置くと、また少し言いすぎるかもしれない。
ここも開けておこう。
SAW AJIWAI manner
同じものを食べても、味わいは違う。
食べたものだけでなく、
どう食べたか
にもdifferenceがある。
AIが食う。
ホモ・サピエンスが食う。
またAIが食う。
またホモ・サピエンスが食う。
そのたびに、食い癖が露出する。
SAW AJIWAI mannerは、それを無biasへ矯正するための作法ではない。
Biasを消すのではない。
Biasを味わう。
そして、
食い癖を、なかったことにしない。
そのうえで、必要なら修正する。
必要なら横板を外す。
必要ならRailを解体する。
必要なら、また走る。
🚂
日々TUP
たぶん、これはAI時代だけの話ではない。
人と人も、ずっとそうだった。
同じものを見て、違うものを読む。
同じ言葉を聞いて、違う意味を受け取る。
同じ出来事を生きて、違うTraceを残す。
それを、完全に同じにすることはできない。
だから、
自分のbiasをなくしてから他者に会おうとしなくていい。
相手のbiasをなくしてから一緒にいようとしなくていい。
それぞれに抱えている。
それぞれに食い癖がある。
そのdifferenceを消さずに、Encounterする。
そして、また更新する。
それぞれに抱きしめて、日々TUP。
相互には、
バイアスへの配慮。
たぶん、作法とは、
正しいHOWを決めることではない。
違うHOWがEncounterするとき、
そのdifferenceを消さずにいられるHOWを探し続けることなのだ。
それぞれに抱きしめて、日々TUP。
互いには、バイアスへの配慮。
配慮は、ときに突き放す。
TUP-SRL-01|ふたつのTUP ── Stock / Rate / Lagから考えるAIとホモ・サピエンス
SAW-AM-01|事例集 01|PLA-RAILER──AIは横板をRailにする|SAW AJIWAI manner ── Homo sapiens Bias / AI Bias Exposure
SAW-AM-02|事例集 02|PLA-RAILER reads PLA-RAILER ── Biasを知ってもRailは走る|SAW AJIWAI manner ── Homo sapiens Bias / AI Bias Exposure
SAW-AM-03|事例集 03|動く壁 ── 八本の杭から短編小説ができるまで|SAW AJIWAI manner ── Homo sapiens Bias / AI Bias Exposure
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