正義論(暫定完成版)

──未完の正義、完結しない正義論


要旨(暫定)

本稿は、正義を普遍的規範や道徳的実体としてではなく、ホモ・サピエンスが不一致に直面したときに用いる因果構文的語彙として捉え直す試みである。
正義は事実でも真理でもなく、語られる限りにおいてすべて構文である。本稿は、正義が必然的に対立する理由を構文的に明らかにし、「閉じる正義」と「閉じない正義」という二つの様式を区別する。
その上で、正義論そのものが完結してはならない理由を示し、正義の構文的相対化を正義論の唯一の原理として提示する。


1.正義は語彙である

正義は、世界の中にある事実ではない。
行為の中に内在する属性でもない。

正義は語彙である。

それは、出来事を「なぜそうなったのか」「誰がどこまで関わったのか」という因果の連鎖として語り直すための構文である。

したがって、

語られる正義は、すべて構文である。

正義は発見されるものではなく、社会的関係の中で編成され、運用されるものである。


2.正義はなぜ必然的に対立するのか

正義が対立するのは、人々の価値観が異なるからだけではない。

正義とは、出来事をどの因果で閉じるかという 構文の選択だからである。

ある正義が成立するとき、他の因果構文は不可視化される。

正義は、成立した瞬間に、他の正義を排除する。

この構文的排他性こそが、正義が必然的に対立する理由である。


3.閉じる正義

閉じる正義とは、不一致を終結させるために因果構文を一本化する正義である。

閉じる正義は、

社会に決着と安心を与える。

その意味で、閉じる正義は不可欠である。


4.閉じる正義の代償

しかし、閉じる正義は必ず代償を伴う。

閉じる正義は、社会を安定させるが、未来を硬直させる。

閉じる正義が累積するとき、正義は教条化し、ときに暴力へと転じる。


5.閉じない正義

閉じない正義とは、不一致を消去せず、なお更新可能性を残そうとする正義である。

閉じない正義は、

決着よりも、関係の存続を優先する。


6.閉じない正義の困難と可能性

閉じない正義は、楽ではない。

それでも閉じない正義が必要なのは、社会が本来的に不一致と遅延(lag)を含んで存続しているからである。

閉じない正義は、完全な状態として存在するのではない。

それは、

閉じたあとに、再び開く可能性を残す運用

としてのみ可能である。


7.自由・責任・正義の構造的関係

ここで三つの概念は、明確に分かれる。

正義は、自由や責任の完成形ではない。
それらをどこで止めるかを決める語彙である。


8.正義論の構文的相対化

正義を否定することはできない。
しかし、正義を絶対化することもできない。

必要なのは、

正義を内容ではなく、構文として相対化すること

である。

どの正義が正しいかではなく、この正義は何を閉じ、何を不可視化し、どこで更新を止めているのかを問う。


9.正義を語る意味

正義を語る意味は、正義を確定することにあるのではない。

正義を語る意味とは、正義が閉じすぎないようにするために、正義を言語に引き戻すことにある。

語られない正義こそが、最も危険である。


10.結語(未完として)

不一致を放置すれば、正義は語られない。
正義が語られるのは、不一致を放置できなくなったときである。

正義とは、不一致を共に生きるための作法である。

正義は使われる。
正義は閉じられる。

だが、

正義論だけは、決して完結してはならない。

正義論とは、正義がどこで閉じたかを記録し、再び開く可能性を保存し続けるための営みである。

この正義論は、そのために、あえて未完のまま置かれる。


👉 自由論:PS-LR01|構文論的・更新論的自由論──社会的lag relationを生き延びるための自由概念
👉 責任論:PS-LR01|構文論的・更新論的責任論──社会的lag relationにおける責任の生成と存続


補論(ミニマル)

正義論はなぜ安全装置であり、対立構文なのか

正義は、必ず対立する。
それは正義が価値の違いではなく、因果の切り方=構文の違いとして現れるからである。

この対立を消そうとするとき、正義は武器になる。


正義論の役割は、どちらの正義が正しいかを決めることではない。

正義が、どこで閉じ、何を不可視化し、更新を止めているかを示すこと

それだけである。


この意味で正義論は、

正義が暴走しないための安全装置である。

同時に、

正義の対立を、敵対ではなく構文の差異として読み替える装置

でもある。


正義は避けられない。
対立も避けられない。

だから正義論は、正義を終わらせるためではなく、

正義が続いてしまう世界を壊さずに生きるために必要とされる。


ロールズ再訪

──閉じる正義から、閉じない正義へ

ジョン・ロールズの正義論は、「正義とは何か」を問う理論というより、正義が対立しうる社会で、いかに合意可能性を確保するか という問いへの応答だった。

それは、近代的自由主義社会において、きわめて誠実で、洗練された試みだった。


1.ロールズ正義論の核心

ロールズは、次の条件を整えようとした。

ここで成立する正義は、

あらかじめ閉じられた条件下での 公正な配分原理

である。

これは明確に、「閉じる正義」 である。


2.ロールズの強さと限界

ロールズ正義論の強さは、

にある。

しかし同時に、限界もはっきりしている。

つまりロールズは、

正義がすでに成立している社会 を前提にしていた。


3.現代が直面している問題

しかし現在、われわれが生きているのは、

である。

この状況では、

正義を確定すること自体が社会的対立を激化させる

という逆説が生じる。


4.閉じない正義という転回

ここで提案されるのが、ロールズを否定するのではなく、一段階外に出る正義論である。

正義とは、不一致を共に生きるための作法である

この定義は、ロールズが扱えなかった問い──
「正義同士が対立したとき、何が残るのか」 への応答である。


5.ロールズの位置づけ(再訪の結論)

ロールズは、間違っていなかった。
ただし、

正義を閉じることで 社会を守ろうとした最後の理論家

だった。

現在必要なのは、

正義を閉じずに 社会を壊さないための正義論

である。


6.結語

ロールズ正義論は、今なお有効である。

だがそれは、

である。

その外側に立ってはじめて、われわれは言える。

正義論は、正義の答えではない。
正義が暴走しないための条件である。

──これが、ロールズ再訪の意味だと思う。


続・ロールズ再訪

──定言命法の完成と、その後

ジョン・ロールズの正義論は、しばしば「合意」「契約」「手続き」の理論として読まれる。
だが、その深層にあるのはやはり イマヌエル・カント的構文である。

ロールズが行ったのは、定言命法を倫理の領域から政治制度へと完全に移植する作業だった。


1.ロールズの達成:定言命法の制度化

カントにおいて、定言命法は個人の理性に課される自己立法だった。

ロールズはそれを、

という装置によって、

個人の道徳原理 → 社会制度の構文

へと変換した。

ここにロールズの決定的な達成がある。
定言命法は、もはや内面倫理ではなく、社会を支える設計原理になった。


2.なぜロールズ正義論は「強い」のか

ロールズの正義論が今なお強いのは、

という、カント的厳格さを最後まで保持しているからである。

この意味でロールズは、

近代正義論の完成形

と言ってよい。


3.しかし、その完成が生んだ限界

完成した理論は、更新を想定しない。

ロールズ正義論では、

つまり、

正義が争点になる状況
正義同士が衝突する状況

が、理論の外に置かれている。

ここに、現代とのズレが生じる。


4.現代的転位:定言命法がlagを生むとき

現代社会では、

この状況で定言命法的正義を適用すると、

閉じた正義が 社会的lagを生む

正義は秩序ではなく、摩擦源になる。


5.続・再訪の結論

ロールズは否定されるべきではない。
むしろ、こう位置づけるのが正確だろう。

ロールズは、正義を閉じることで社会を守ろうとした最後の理論家である。

そして、我々が立っているのはその先だ。

だから必要なのは、

定言命法の否定ではなく、定言命法の相対化


6.次の正義論へ

続・ロールズ再訪が示すのは、これだけだ。

この地点に立って、はじめて「閉じない正義論」が要請される。

ロールズを越えるとは、ロールズを否定することではない。

ロールズが完成させた正義を、更新可能な構文として引き受け直すこと

それが、この「続」の意味だと思う。


続々・ロールズ再訪

──絶対的に相対的な構文としての正義論

本章は、ジョン・ロールズの正義論を解説するためのものではない。
また、その妥当性を評価する章でもない。

ロールズ正義論を起点にしつつ、主語をそこから外し正義論という営みそのものを語るための章である。


1.正義論は「答え」ではなく「構文」である

正義論とは、正義の内容を与える理論ではない。

正義論とは、

正義がどのような形式で社会の中に立ち上がり、どのように閉じ、どこで更新を拒むかを記述する構文

である。

この意味で、正義論はつねにメタ的であり、正義そのものより一段外側に位置する。


2.正義論は必ず「閉じる力」を持つ

正義は、不一致に耐えられなくなったときに現れる。

この要請が強くなったとき、正義は「閉じる」。

正義論とは、この閉じの衝動を理論として整形したものである。


3.ロールズ正義論の位置づけ

この文脈において、ロールズ正義論は特別な例外ではない。

それは、

という、

「正義を閉じる構文」を極限まで洗練した一形態

である。

内部的にはほとんど動かしがたく、その意味で絶対的である。

同時に、

正義を閉じる必要があった歴史的・社会的条件に厳密に依存している

という意味で、徹底して相対的でもある。


4.絶対的に相対的な構文としての正義論

ここで重要なのは、ロールズをどう評価するかではない。

重要なのは、あらゆる正義論が持つ共通構造である。

正義論は、

内部的には絶対的であり、外部的には相対的である

という矛盾を、必然的に引き受けている。

この矛盾こそが、正義論という構文の本体である。


5.なぜ正義論は完成してはならないのか

正義論が完成したとき、正義は安全装置ではなく、武器になる。

このとき正義は、共生の作法ではなく、破壊の理由になる。

だから正義論は、

正義を確定するためではなく、正義が確定してしまう瞬間を可視化するために存在する。


6.結語:再訪の意味

ロールズを再訪したのではない。
ロールズを通過点として

正義論を、絶対的に相対的な構文として引き受け直した

それが本章の到達点である。

正義は一つではない。
正義論も一つではない。

だが、

それぞれの正義を生きながら、殺し合わずに共存する

ためには、正義を相対化し続ける正義論が不可欠である。

ロールズはその一例であり、同時に、正義論という営みがどこまで閉じうるかを示した最も完成度の高い標本でもある。


ロールズは、正義を論文として書けた最後の人間だった。
我々は、正義が書けなくなったあとを生きている。

AIは、自由・責任・正義が生きられていた構文条件の前提を決定的に変えてしまう。

この前提変化の中で、ホモ・サピエンスはまだ自由・責任・正義を生きられるのか。

AI時代の自由論・責任論・正義論は、書き上げることで完成するのではなく、書き続けられる形を保つことでしか成立しない。


👉 AI時代の正義論のためのspin-off:PS-LR01|自由・責任・正義(AI時代の正義論のためのspin-off)──社会的 lag relations:更新する構文としてのFRJ


A Draft Theory of Justice

Justice as Syntax, Justice as Update

英語版・暫定完成稿(still open, but standing)


Abstract (Provisional)

This paper reconceptualizes justice not as a universal norm or moral substance, but as a causal syntax employed by Homo sapiens in situations of irreducible mismatch.
Justice is neither a fact found in the world nor an attribute inherent in actions. All articulated justice is syntactic: it is a way of narratively closing—or deliberately not closing—causal relations in social life.
By distinguishing between closing justice and non-closing justice, this paper explains why justice necessarily conflicts with itself and argues for the need to syntactically relativize justice theory itself.


1. Justice Is a Vocabulary

Justice is not an object in the world.
Nor is it an intrinsic property of an action.

Justice is a vocabulary.

It is a linguistic and structural means by which events are reorganized as causal chains:

Therefore,

All justice that is spoken is syntactic.

Justice operates through configuration, not discovery.


2. Why Justice Necessarily Conflicts

Justice does not conflict because values differ.
It conflicts because causal syntax cannot be singular.

For any given event:

Once one causal syntax is adopted, others are marginalized or erased.

Justice, once articulated, excludes other justices.

This structural exclusivity explains why justice necessarily produces conflict.


3. Closing Justice

Closing justice is justice that aims to terminate mismatch by fixing causal relations.

Its characteristics include:

Closing justice provides resolution and social reassurance.
In this sense, it is indispensable.


4. The Cost of Closing Justice

Yet closing justice always exacts a cost.

Closing justice stabilizes society, but it also rigidifies the future.

When accumulated, such rigidity transforms justice into doctrine or violence.


5. Non-Closing Justice

Non-closing justice does not eliminate mismatch.
It preserves updateability.

Its features include:

Non-closing justice prioritizes the continuation of relations over resolution.


6. The Difficulty of Non-Closing Justice

Non-closing justice is not comfortable.

Yet it is necessary because society itself persists through
lag relations, asymmetries, and irreducible mismatches.

Non-closing justice keeps social life alive.


7. Freedom, Responsibility, and Justice

These concepts form a structural triad:

Justice is not the culmination of freedom or responsibility.
It is the vocabulary that determines where to stop—or not stop—them.


8. The Need for Syntactic Relativization

Justice cannot be abolished.
But neither can it be absolutized.

What is required is not moral relativism, but:

the syntactic relativization of justice itself

The question is not which justice is correct, but:


9. Provisional Conclusion

Justice is the vocabulary through which a society, unable to endure mismatch any longer, closes the world causally.

At the same time,

Justice must itself remain open to being questioned in how it closes.

Justice should be used,
but never worshiped.

For justice to survive,
justice theory itself must remain syntactically open.


正義論ドラフト

──構文としての正義、更新としての正義


要旨(Draft)

本稿は、正義を普遍的規範や道徳的実体としてではなく、ホモ・サピエンスが不一致に直面したときに用いる因果構文の語彙として捉え直す。
正義は事実の記述でも、自然的因果の反映でもない。語られる正義はすべて構文であり、社会的関係を閉じる、あるいは閉じないための操作として機能する。
本稿は、正義が必然的に対立する理由を構文的に明らかにし、「閉じる正義」と「閉じない正義」という二つの様式を区別することで、正義論の構文的相対化の必要性を提示する。


1.正義は語彙である

正義は、世界の中にある事実ではない。
行為の中に内在する属性でもない。

正義は語彙である。

それは、出来事を「なぜそうなったのか」「誰がどこまで関わったのか」という因果の連鎖として語り直すための構文である。

ゆえに、語られる正義はすべて構文である。


2.正義はなぜ必然的に対立するのか

正義が対立するのは、価値観が違うからだけではない。

正義とは、出来事をどの因果で閉じるかという切断の仕方だからである。

ある正義が成立するとき、他の因果構文は不可視化される。

正義は、成立した瞬間に、他の正義を排除する。

この排他性こそが、正義が必然的に対立する構造的理由である。


3.閉じる正義

閉じる正義とは、不一致を終わらせるために 因果構文を一本化する正義である。

閉じる正義は、

社会に決着と安心を与える。

その意味で、閉じる正義は不可欠である。


4.閉じる正義の代償

しかし、閉じる正義は必ず代償を伴う。

閉じる正義は、社会を安定させるが、未来を硬直させる。

この硬直が累積すると、正義は信仰や暴力に近づく。


5.閉じない正義

閉じない正義とは、不一致を消去せず、なお更新可能性を残そうとする正義である。

閉じない正義は、

決着よりも、関係の存続を優先する。


6.閉じない正義の困難

閉じない正義は、楽ではない。

それでも閉じない正義が必要なのは、社会がもともと不一致と遅延(lag relation)を含んで存続しているからである。

閉じない正義は、社会を生かし続けるための正義である。


7.自由・責任・正義の構造的関係

ここで三つの概念は、明確に分かれる。

正義は、自由や責任の完成形ではない。
それらをどこで止めるかを決める語彙である。


8.正義論の構文的相対化

正義を否定することはできない。
しかし、正義を絶対化することもできない。

必要なのは、

正義を内容ではなく、構文として相対化すること

である。

どの正義が正しいかではなく、この正義は何を閉じ、何を不可視化し、どこで更新を止めているのかを問う。


9.結語(暫定)

正義とは、不一致に耐えきれなくなった社会が、世界を因果的に閉じるために用いる語彙である。

そして同時に、

正義とは、その閉じ方を問い直され続けなければならない語彙である。

正義は使われるべきだが、信仰されてはならない。

正義が生き延びるためには、正義論そのものが構文的に相対化され続ける必要がある。


二つの正義

閉じる正義と、閉じない正義(ドラフト)


要旨(Draft)

本稿は、正義を単一の概念としてではなく、「閉じる正義」と「閉じない正義」という二つの構文的様式として区別する。
正義は、ホモ・サピエンスが不一致に直面したとき、出来事を因果的に整理するために用いる語彙であるが、その運用には「更新を停止させる方向」と「更新可能性を残す方向」が存在する。
本稿は、この二つの正義の構造的差異を明確にし、自由論・責任論との関係を整理する。


1.正義は一つではない

正義はしばしば、「正しいか/間違っているか」を決める 最終的な基準として語られる。

しかし実際には、正義は一つの性質や原理ではなく、因果をどう閉じるか、あるいは閉じないかという構文の選択として現れる。

正義は常に、どこまで語り終えるかを決める語彙である。


2.閉じる正義

閉じる正義とは、不一致を終結させるために 因果関係を一本化する正義である。

その特徴は次の通りである。

閉じる正義は、社会に決着と安心を与える。

争いを止め、制度を動かし、次の行為を可能にする。

その意味で、閉じる正義は不可欠である。


3.閉じる正義の代償

しかし、閉じる正義には明確な代償がある。

閉じる正義は、更新可能性を停止させる力を持つ。

それは社会を安定させるが、未来を硬直させる。


4.閉じない正義

閉じない正義とは、不一致を消去せず、なお更新可能性を残そうとする正義である。

その特徴は以下の通りである。

閉じない正義は、問いを終わらせない正義である。


5.閉じない正義の緊張

閉じない正義は、不安定で、疲れる。

それでも閉じない正義が必要なのは、社会がlag relationを含んで存続しているからである。

閉じない正義は、社会を生かし続けるための 呼吸のような正義である。


6.自由・責任との構造的対応

ここで三つの概念は、はっきり対応する。

正義は、自由や責任の完成形ではない。

それは、それらをどこで止めるか、あるいは止めないかを決める語彙である。


7.どちらが正しいのか

閉じる正義と閉じない正義のどちらが「正しい」わけではない。

問われるのは、いつ、どこで、どの程度、閉じるのかである。

正義とは、閉じるか/閉じないかを状況ごとに選び続ける 危うい語彙である。


8.結語(暫定)

正義とは、世界を因果的に閉じる力である。
そして同時に、その閉じ方を問い続ける語彙である。

閉じる正義は、社会を止血する。
閉じない正義は、社会を生かし続ける。

ホモ・サピエンスに残されているのは、どちらかを信仰することではない。

閉じすぎないこと。
それだけが、正義を正義のままに保つ。


PS-LR01|自由・責任・正義(AI時代の正義論のためのspin-off)──社会的 lag relations:更新する構文としてのFRJ

PS-LR01|A Syntactic and Update-Oriented Theory of Freedom: Freedom as Survival in Social Lag Relations|構文論的・更新論的自由論──社会的lag relationを生き延びるための自由概念
PS-LR01|構文論的・更新論的責任論──社会的lag relationにおける責任の生成と存続


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| Drafted Feb 5, 2026 · Web Feb 5, 2026 |