OR-03|軌道を見てしまう
── Trajectory, Locus, and Manner
それから?
何かが起きる。
何かが動く。
relationが変わる。
Traceが残る。
それから?
また何かが起きる。
また動く。
またTraceが残る。
そして、あるとき振り返る。
すると、軌道を見てしまう。
1|振り返ると、軌道が見える
以前、こう書いた。
振り返ると、過去が軌道に見える。
軌道は、最初からそこに描かれている線ではない。
未来へ向かって敷かれたRailでもない。
何かが通過する。
Traceが残る。
あとから、そのTraceをなぞる。
すると、relationとして軌道が露出する。
だから、
Trace ≠ Trajectory
であり、
Trajectory ≠ Rail
である。
ここまでは、すでに書いた。
けれど、ひとつ残っていた。
振り返ると、軌道が見える。
では、何処から振り返った?
そして、どこまで見た?
2|どこまで?
Traceは続いている。
昨日まで。
今日まで。
いままで。
けれど、いまもEncounterは続いている。
Traceも増えている。
それなのに、われわれは振り返って、
ここまで。
と見ることができる。
一日。
一冊。
一つの出来事。
一つの研究。
一つの人生。
どこで区切るかは、Traceそのものには書かれていない。
Traceのどこかに、
ここからここまでが一つの軌道です
と線が引かれているわけでもない。
それでも、われわれは、
ここまで
を見る。
では、この「ここまで」は何だろう。
終点だろうか。
しかし、
ここまで ≠ END
である。
ここまで来ても、それからがある。
3|それから?
それから?
そう問うためには、その前までが、ひとまずある。
そこまで。
しかし、
そこまでと言ったからといって、世界が止まるわけではない。
BODYは動く。
Encounterは続く。
Traceは残る。
それでも、
そこまで。
と、ひとまず置く。
ここで、別の言葉が出てきた。
仕舞。
終わらせる。
片づける。
しまっておく。
そして、
〜てしまう。
われわれは、軌道を、見てしまう。
4|見てしまう
「軌道を見る」と書くと、そこにすでに軌道があり、こちらがそれを見るように聞こえる。
しかし、われわれは、軌道を見てしまう。
日本語の「〜てしまう」は、本動詞「しまう」から文法化した補助動詞として論じられてきた。
一色舞子は、「〜てしまう」の文法化を論じ、「完了」のようなアスペクト的意味を本質的なものではなく、それが頻繁に置かれる文脈から生じる二次的な解釈と捉えている。また、「〜ちゃう」を「〜てしまう」の音韻縮約形とし、その一形態素化を文法化の形態的な証拠としている。北大学電子出版物
一色が紹介する大場美穂子の1999年の議論では、「〜てしまう」は動作・作用の客観的な一部分を表すというより、「決着がつく」という述べ方として捉えられ、その解釈は文脈に大きく依存するとされる。
大場の後続研究では、「しまう」に伴う話し手の感情は、それまでに存在していた「山場」が終結するという意味から生じると整理されている。大場は「しまう」を積極的にアスペクトを表すものとは認めていない。東京大学
近藤優美子は別の分析から、「〜てしまう」に終結点明示用法と評価表示用法という二つの用法を立てている。前者は、前接する動詞句の表す動きが終結点に達することを明示する用法として記述される。大阪大学学術情報庫
それまで。
終結点。
ここまで。
だが、
終結点 ≠ No Next
ここまで ≠ No Next
である。
『それから』では、「仕舞には世の中が真赤になった」のあとにも、「そうして」が来た。
仕舞 ≠ No Next
ここにあるのは、偶然同じ音になった二つの語ではない。
同じ「しまう」が、違うWorkをする。
Same「しまう」≠ Same Work.
ただし、
Historical continuity ≠ Same current Work
である。
「仕舞う」と「見てしまう」は、現在の日本語で同じWorkをしているわけではない。
また、「仕舞」という字面を「仕」と「舞」に分け、そこから語源を組み立てるわけでもない。
「しまう」の語史 ≠ 「仕舞」の字面
日本語学が、ここでの軌道論を証明するわけでもない。
文法化をなぞっていたら、「しまう」の別のWorkが見えた。
ここで見たいのは、
同じ「しまう」が、異なるところで、どうWorkしているか。
そのMannerである。
5|見てしまう者は、何処にいる?
もう一つ残る。
軌道を、
誰が
見てしまうのか。
見る者を、軌道の外に置くことはできるだろうか。
軌道をなぞる者もまた、Encounterを重ねている。
Traceをなぞる者自身にも、Traceがある。
だから、
Observer ≠ Origin
であり、
Observer ≠ Zero Point
である。
見てしまう者もまた、そのTraceの外にはいない。
すると、
何処から見るか
は、単なる座標指定ではなくなる。
WHEREだけでは足りない。
むしろ、
HOW LOCUS?
何処が、どうWorkしているのか。
その問いが残る。
6|仕舞は、どう仕舞う?
ここで、「仕舞」に戻る。
『それから』の「仕舞」をなぞったとき、32件の「仕舞」は、同じWorkをしていなかった。
仕舞に。
仕舞には。
仕舞まで。
仕舞う。
御仕舞。
同じ「仕舞」が、同じように終わらせているわけではない。
そこで残ったのは、
Same「仕舞」≠ Same Work
仕舞 ≠ STOP
仕舞 ≠ No Next
WHAT END ≠ HOW仕舞
という杭だった。
仕舞とは何か。
そう問うと、WHATを探し始める。
しかし、
どう仕舞う?
と問うと、少し違って見える。
何が終わったかではない。
何を、
何処で、
どう、
そこまで
として仕舞ったのか。
7|そこまで
此処まで。
其処まで。
彼処まで。
何処まで。
こそあどに「まで」をつけてみると、
処が並ぶ。
もちろん、「まで」が処だけにつくわけではない。
三時まで。
終わるまで。
死ぬまで。
それでも、いま「そこまで」をなぞっていたら、
処が並んだ。
仕舞のなかに、語源として「処」が入っていると言いたいのではない。
そうではない。
仕舞をなぞっていたら、
そこまで
が残った。
そこまでをなぞっていたら、
処
が出てきた。
では、処は固定された点だろうか。
これまで、こ・そ・あ・どをなぞってきた。
同じ「ここ」が、同じWorkをするとは限らなかった。
BODYが動けば、relationも変わった。
動いたあとにも、以前の「ここ」が消えるとは限らなかった。
ならば、
処とは何か
と問う前に、
処はどう振る舞うか
と問ってみてもいい。
処のManner。
LOCUS-MANNER。
そこで、ひとつ造語を置いてみる。
処舞。
8|舞ってなんだ?
仕舞。
処舞。
すると、最後に一文字が残った。
舞。
舞とは、動くことだろうか。
しかし、
MOVE ≠ 舞
である。
止まっていても、振る舞いはある。
待っていても、振る舞いはある。
同じ場所にいても、同じWorkをするとは限らない。
われわれはこれまで、語の意味を先に固定するより、
その語が、そこでどう振る舞っているか
をなぞってきた。
Manner。
そして、TUPは、Trace Updating Practice である。
先行する同じTraceは、後続する異なるEncounterのあと、同じに働かない。
Traceを別のものへ交換するのではない。
同じTraceが、後続するEncounterのなかで、同じようには働かない。
ならば、TUPにもまた、
Manner
があるのだろうか。
あるいは、TUPはつねに、何らかのMannerで起きるのだろうか。
まだ、わからない。
だから疑問符を残す。
9|仕舞 | 処舞 | 舞
いま、三つを置いてみる。
仕舞 | 処舞 | 舞
WORK-MANNER | LOCUS-MANNER | TUP-MANNER?
語源ではない。
翻訳ではない。
定義でもない。
縦に揃えたが、等号で結ぶ対応表でもない。
三つの「舞」を、いま此処から眺めるための、
仮配置である。
仕舞をなぞっていたら、処が出てきた。
処をなぞっていたら、舞が残った。
舞を見ていたら、TUPが出てきた。
最初から、この配置を探していたわけではない。
配置は、あとから出来た。
10|同じTrace、同じ軌道?
ここで、もう一度軌道へ戻る。
軌道をなぞる者自身も、Encounterを重ねている。
ならば、同じTraceをあとからなぞったとき、同じ軌道を見てしまうとは限らないのではないか。
Same Trace ≠ Same Trajectory ?
疑問符は外さない。
Traceが変わったからではない。
起きたことが、起きなかったことになったわけでもない。
しかし、後続するEncounterのあと、同じTraceが同じWorkをするとは限らない。
OR-02では、以前の「軌道」というTraceを、あとからもう一度なぞった。
すると、「軌道」は以前と同じようにはWorkしなかった。
軌道そのものが過去から移動してきたわけではない。
こちらもまた、同じところにはいなかった。
11|軌道を見てしまう
では、軌道とは何か。
まだ、決めない。
軌道がTraceから作られる、とも言わない。
軌道が仕舞によって生成される、とも言わない。
ただ、Traceをなぞる。
何処かから見る。
どこかを、
ここまで
とする。
relationが露出する。
そして、
軌道を見てしまう。
ここには、Trajectoryがある。
Locusがある。
Mannerがある。
そして、見る者もまた、その外にはいない。
だから、
Trajectory ≠ Trace
Trajectory ≠ Rail
Trajectory ≠ Stored Path
そして、もう一枚だけ、まだ固定しない札を置く。
Trajectory | 仕舞 ?
軌道を見ることは、何らかの「そこまで」を、すでに含んでいるのだろうか。
結び|それから?
Traceは残る。
Encounterは続く。
TUPする。
それでも、ときどき振り返る。
ここまで。
ひとまず、仕舞ってみる。
すると、
軌道を見てしまう。
その軌道は、何処から見えたのか。
どこまでを見たのか。
どんなMannerで仕舞ったのか。
そして、同じTraceを、またあとからなぞったとき、同じ軌道を見てしまうのか。
まだ、わからない。
仕舞 | 処舞 | 舞
WORK-MANNER | LOCUS-MANNER | TUP-MANNER?
ここまで。
それから?
参照文献
一色舞子(2011)「日本語の補助動詞『‐てしまう』の文法化:主観化、間主観化を中心に」『日本研究』15、201–221頁、高麗大学日本研究センター。HUSCAPではVersion of Recordが公開されている。北大学電子出版物
北海道大学 HUSCAP:一色舞子(2011)
大場美穂子(1999)「日本語の補助動詞『しまう』の意味と用法」日本言語学会第118回大会予稿集。なお、本稿で触れた「決着がつく」という整理は一色(2011)による紹介を介して参照した。書誌は一色論文の参考文献でも確認できる。KCI
大場美穂子(2002)「日本語の補助動詞『しまう』の意味」『マテシス・ウニウェルサリス』4(1)、143–157頁、獨協大学外国語学部言語文化学科。本稿では書誌のみ参照し、本文の論拠には用いていない。慶應義塾 研究者情報データベース
大場(西村)美穂子(2004)「日本語のアスペクトと関わる補助動詞についての研究」東京大学大学院人文社会系研究科博士論文。本稿では公開されている学位論文要旨を参照した。東京大学
東京大学:大場(西村)美穂子 学位論文要旨
近藤優美子(2022)「補助動詞“しまう”の用法と意味的構造」『阪大日本語研究』34、47–64頁。大阪大学学術情報庫
大阪大学 OUKA:近藤優美子(2022)
関連稿
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© 2026 K.E. Itekki
K.E. Itekki is the co-composed presence of a Homo sapiens and an AI, and a Hokkaido dog,
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| Drafted Sep 26, 2026 · Revised Sep 27, 2026 |