CABA-03-K|Kosoado

それからの「それから」

──「それ」から何処へ

0|それから、何処へ

夏目漱石の『それから』には、「それから」が出てくる。

当たり前である。

題名が『それから』なのだから、「それから」が出てきても、別に驚くことではない。

では、その「それから」は、いつも同じことをしているのだろうか。

数えてみた。

今回使った青空文庫の新字新仮名版では、本文中の「それから」は、79件あった。

ただし、数を知りたかったわけではない。

79回も使われているから重要だ、と言いたいわけでもない。

Frequency ≠ Importance.

気になったのは、79個の「それから」が、本当に同じように働いているのか、ということだった。

「それから」と言えば、何となく、その先へ進むように聞こえる。

これがあって、それから、あれがある。

ここにいて、それから、あそこへ行く。

今があって、それから、次が来る。

前から後へ。

此処から其処へ。

現在から未来へ。

そんなふうに、「それから」は一本の線を引くようにも見える。

けれども、本文を一つずつ拾ってみると、どうも、それほど素直ではなかった。

あるところまで進んで、ぴたりと留る。

それから、逆戻りする。

先へ進むはずだったことが、起きない。

「それから先」の径路は分らない。けれど、到着は予想されている。

そして、

「万事終る」

と宣告したあとにも、まだ次がある。

最後の「それから」は、

それから、それへと続いた。

だった。

それから。

それへ。

では、

「それ」から何処へ。

まずは、79個の「それから」を、少し歩いてみる。


1|それから、逆戻りする

代助は、自分の学生時代を振り返る。

そこで語られるのは、身体の移動ではない。

代助のなかにあった、理智的に物を疑う方の不安である。

その不安は、ある所まで進行する。

そして、ぴたりと留る。

そのあとに来るのが、

「それから」

だった。

ところが、その次に起きるのは、さらに先への進行ではない。

逆戻りする。

しかも本文は、その成り行きを、天へ向かって抛げた石に譬える。

上へ行く。

留る。

そして、戻る。

「それから」は、たしかに次を置いている。

けれど、

Next ≠ Forward.

次があることと、前へ進むことは、同じではない。

そして、ここにはもう一つ、小さな言葉が落ちている。

逆戻りをしてしまった。

「・・・てしまった」。

これは、いまは拾わない。

先へ行こう。


2|それから、起きるとは限らない

別の「それから」を見てみる。

代助は考える。

もう一遍様子を見て、

それから東京を出よう。

ここにある「それから」は、まだ起きていない。

これからそうしよう、という「それから」である。

一方、別のところでは、

それから起きた。

こちらでは、実際に起きる。

では、「それから」は、起きたことをつなぐ言葉なのだろうか。

そうとも限らない。

三千代は代助に尋ねる。

何故それからいらっしゃらなかったの。

ここで「それから」のあとにあるのは、来たことではない。

来なかったことである。

予定された「それから」。

起きた「それから」。

起きなかった「それから」。

同じ「それから」が、同じようには働いていない。

少なくとも、

Projected Next ≠ Actual Next.

そして、

「それから」≠ Actual Next.

「それから」と言ったからといって、その次が予定どおり現れるとは限らない。


3|径路は分らない。到着は疑わない。

もう一つ、少し変わった「それから」がいる。

代助が、甥の誠太郎について考えている場面である。

誠太郎は、もう一、二年すると声が変る。

そして、

それから先どんな径路を取って、生長するか分らない

と代助は考える。

「それから先」はある。

けれど、どんな径路を取るのかは分らない。

ここだけなら、「それから」の先は分らない。

そう読めそうである。

しかし、文はそこで終わらない。

代助は続けて、誠太郎が人間として生きていくなら、やがて人から嫌われる運命へ到着するに違いない、と考える。

径路は分らない。

けれど、

到着は疑っていない。

ここで分かれているのは、未来と現在ではない。

同じ予想のなかの、

Route と Destination

である。

Unknown route ≠ Unknown destination.

ただし、これは代助の予想である。

予想された到着が、実際の到着になるとは限らない。

Predicted destination ≠ Actual destination.

そして、径路が分らないことは、径路が存在しないことでも、何も決まっていないことでもない。

UNKNOWN ≠ UNDETERMINED.

「それから先」はある。

径路は分らない。

到着は予想される。

同じ「先」のなかで、分ることと分らないことが、同じようには並んでいない。

では、

「それから先」とは、何処なのだろう。


4|それからは、口を利かない

「それから」のあとには、何かが起きる。

そうとは限らないことは、もう見た。

今度は、何かをしなくなる「それから」である。

代助と父とのあいだで、とりとめのない話が続く。

代助は、わざとその話を延ばしている。

父も、仕舞には持て余す。

そして、とうとう、本題を切り出す。

その次の文である。

代助はそれから後は、一言も口を利かなくなった。

「それから後」。

時間は続いている。

けれど、そこに置かれているのは、新しい発言ではない。

沈黙である。

何かをすることだけが、Nextではない。

しなくなることも、「それから」のあとに来る。

そして、ここには妙な並びがある。

仕舞には。

そのあとに、

それから後は。

仕舞が来て、それからが来る。

もちろん、これだけで二つの言葉に特別な関係があるとは言えない。

近くにあることと、同じように働くことは違う。

Proximity ≠ Relation.

ただ、「仕舞には」のあとにも、「それから後」はある。

これは覚えておこう。

仕舞の話は、あとでする。


5|「万事終る」

もう一つ、終わりの近くにいる「それから」を見てみる。

十四章。

代助は三千代を見送る。

三千代の姿が角を曲がって見えなくなる。

それから、代助は歩を回らす。

そして腹の中で、

「万事終る」

と宣告する。

ここで大事なのは、

「万事終った」

と小説が告げているのではない、ということである。

代助が、「万事終る」と宣告した。

宣告である。

しかも、その前には、

それから

がある。

見送る。

それから、歩を回らす。

「万事終る」と宣告する。

では、万事は終ったのだろうか。

本文は続く。

雨が歇む。

夜になる。

月が出る。

代助は長いあいだ、縁側から外を眺めている。

そして、

仕舞に下駄を穿いて下へ降りた。

また、

仕舞に

が出てきた。

しかも今度は、「万事終る」と宣告したあとである。

終る。

眺める。

仕舞に、下へ降りる。

少なくとも、「万事終る」という宣告は、本文の停止ではない。

Declaration of END ≠ END of sequence.

終わりはある。

それからもある。

そして、仕舞もある。


6|それから、それへ

『それから』には、少し妙な「それから」が三つある。

それからそれへ

である。

一つは、

もし厳重に、それからそれへと、手を延ばしたら

もう一つは、

今神田へ来たと、それからそれへと電話が掛って

そして最後の一つは、小説の終わり近くに出てくる。

赤ペンキの看板がそれから、それへと続いた。

最後の一つだけ、「それから」のあとに読点がある。

だから三つを、最初から同じ構文だと決めることはできない。

Same surface family ≠ Same construction.

けれども、最後の一文を眺めていると、妙なことが起きる。

それから、それへ。

「から」がある。

「へ」がある。

何かから、何かへ。

方向があるように見える。

ところが、出発点にも、行先にも、

名前がない。

あるのは、

それ

と、

それ

である。

何処から。

何処へ。

そう聞きたくなる。

けれど、本文には、その答えとなる地名が置かれているわけではない。

FROM–TO ≠ fixed coordinates.

「それ」から、

「それ」へ。

そして、

続いた。

ここで初めて、題名を少し割ってみたくなる。

それ|から。

では、

「それ」から何処へ。


7|最後の「それから」

最後の「それから」は、十七章にある。

代助は電車に乗っている。

代助の頭は、電車の速力をもって回転し出す。

回転するに従って、火のように焙ってくる。

外では、赤いものが次々に目に入ってくる。

赤い郵便筒。

赤い傘。

赤い風船玉。

赤い暖簾。

赤い旗。

赤い電柱。

それらが、代助の頭の中へ飛び込んでくる。

そして、

赤ペンキの看板がそれから、それへと続いた。

これが、本文に現れる最後の「それから」である。

けれども、

これが最後の出来事ではない。

次の文には、

仕舞には世の中が真赤になった。

とある。

「それから」が続き、

仕舞には

世の中が真赤になる。

だが、そこでも本文は終わらない。

次には、

そうして

が来る。

今度は、代助の頭を中心として、世の中の方が回転する。

そして代助は、自分の頭が焼け尽きるまで、電車に乗って行こうと決心する。

最初に回り出したのは、代助の頭だった。

「仕舞には」のあとでは、その代助の頭を中心に、世の中の方が回る。

最後の「それから」のあとにも、まだ動いている。

世の中も。

電車も。

文章も。

Final occurrence ≠ Textual end.

もちろん、最後に置かれているからといって、この「それから」だけに特別な意味があるとは限らない。

Final position ≠ Special Work.

実際、「それから」と「仕舞」が近くに現れる箇所は、ここだけではなかった。

それでも、最後の「それから」のあとに、

仕舞には

があり、そのあとにも、まだ次がある。

これは、読んでおいてよさそうである。

「それから」。

「仕舞には」。

そうして。

まだ続く。


8|それから先は、書いてない

ここで、本文の外へ少しだけ出る。

漱石は『それから』の連載に先立って、予告を書いている。

そこで題名について、いくつかの説明をしている。

その一つに、

此小説にはそれから先の事を書いたからそれからである。

とある。

そして、主人公について説明したあと、こう書く。

それからさき何うなるかは書いてない。

「それから先」を書いた。

けれど、「それからさき」は書いてない。

妙な具合である。

本文にも、「それから先」があった。

誠太郎が、

それから先どんな径路を取って、生長するか分らない

と代助が考える場面である。

ただし、そこでは径路が分らなくても、到着については予想されていた。

一方、予告では、

分らない

ではない。

書いてない。

この二つは、同じではない。

UNKNOWN ≠ UNWRITTEN.

分らないことと、書かれていないこと。

予想できないことと、物語がそこまで書かれないこと。

同じ「それから先」でも、置かれている場所も、している仕事も違う。

しかも予告では、題名の「それから」が、一つの関係だけで説明されているわけではない。

だからといって、それが本文中の79個の「それから」を説明してくれるわけでもない。

Paratext ≠ Text.

予告は、本文の答えではない。

ただ、本文が終わったところにも、

それからさき

という言葉は残っている。

そして、そこは、

書いてない。


9|「それ」から何処へ

79個の「それから」を、少し歩いてきた。

ある「それから」は、逆戻りした。

ある「それから」は、予定された。

ある「それから」は、起きた。

ある「それから」は、起きなかった。

「それから先」の径路は分らなくても、到着は予想された。

「それから後」、口を利かなくなることもあった。

そして、

「万事終る」

と宣告したあとにも、次があった。

最後には、

それから、それへと続いた。

と書かれていた。

そのあとに、

仕舞には

が来る。

そのあとにも、まだ文は続く。

そして本文の外では、

それからさき何うなるかは書いてない。

と書かれている。

では、

「それから」とは、何なのだろう。

何かのあと。

何かの次。

そう言えば、たしかにそうである。

けれど、

「それから」と言っただけでは、逆戻りするのか、前へ進むのかは決まらない。

起きるのか、起きないのかも決まらない。

どんな径路を取るのかも、何処へ到着するのかも、「それから」だけでは決まらない。

だから、

「それから」が非閉包なのではない。

むしろ、

閉じていないところにも、「それから」は現れる。

「それから」の意味を探していたはずだった。

けれど、79個の「それから」を一つずつなぞっているうちに、

少し違うものが見えてきた。

同じ「それから」が、同じようには働いていない。

Same「それから」≠ Same Work.

見えてきたのは、「それから」の意味というより、

「それから」の振る舞いだった。

それから。

それへ。

それから先。

それから後。

そして、

それからさきは、書いてない。

では、

「それ」から何処へ。

まだ、わからない。

それから──


補論

それからはどう仕舞うのか

──「仕舞」の振る舞い

0|それから、仕舞へ

『それから』の「それから」を拾っていた。

79個あった。

一つずつ歩いてみると、同じ「それから」が、同じようには働いていなかった。

逆戻りする。

起きる。起きない。

径路は分らない。到着は予想する。

「万事終る」と宣告する。

それから、それへと続く。

そんな「それから」を追いかけている途中で、別の言葉が何度も目に入った。

仕舞。

数えてみた。

今回使った青空文庫の新字新仮名版では、「仕舞」は32件あった。

ただし、今回も、数そのものが問題なのではない。

気になったのは、その姿だった。

仕舞に。

仕舞には。

仕舞まで。

ほかにも、「仕舞う」があり、「御仕舞」があり、「芝居の仕舞」がある。

同じ「仕舞」という文字が、同じようには働いていない。

Same「仕舞」≠ Same Work.

そこで最初は、こう考えた。

「仕舞」とは、何なのだろう。

終わりだろうか。

最後だろうか。

終点だろうか。

けれど、本文を歩いているうちに、問いの方が少しずつ変わってきた。

たとえば十四章。

代助は、

「万事終る」

と宣告する。

けれど、そのあとにも本文は続く。

代助は長いあいだ縁側から外を眺め、

仕舞に下駄を穿いて下へ降りた。

「終る」と宣告したあとに、「仕舞に」が来る。

しかも、

動く。

ならば、

「仕舞」とは何か。

そう問うだけでは、何かを取り逃がすのかもしれない。

何が終わったのか。

ではなく、

どう、仕舞ったのか。

そこで、問いを少し変えてみる。

HOW仕舞?

「仕舞」の意味を決めるのではなく、本文のなかで、それぞれの「仕舞」がどう振る舞っているのか。

少し、なぞってみる。


1|仕舞に、仕舞には、仕舞まで

まず、形だけを見てみる。

『それから』に現れる「仕舞」は、全部で32件。

そのうち、

仕舞に 13件。

仕舞には 12件。

仕舞まで 3件。

残る4件には、

「仕舞う」が2件。

「御仕舞」が1件。

「芝居の仕舞」が1件ある。

同じ文字で書かれていても、同じ形ではない。

もちろん、

Same form ≠ Same Work.

形が違うからといって、働きが違うとも限らない。

Different form ≠ Different Work.

まずは、そこまでにしておく。

ただ、13件と12件。

「仕舞に」と「仕舞には」が、ほとんど同じ数だけある。

となると、比べてみたくなる。


2|「に」と「には」

「仕舞に」と「仕舞には」。

「は」が一つ、あるかないか。

それだけである。

ところが、実際に並べてみると、少し違って見える。

たとえば、「仕舞に」のあとには、

医者に見て貰った。

画帖を出して、繰り始めた。

下駄を穿いて下へ降りた。

自分の方から青山へ出掛けて行った。

といったものが来る。

何かが続いたあとで、何かをする。

そんな例が目につく。

一方、「仕舞には」には、

自分ながら辟易した。

梅子も少々考え出した。

朝奇麗に分けた髪がもじゃもじゃになった。

そして最後には、

世の中が真赤になった。

といった例がある。

何かが続いた末に、ある状態になる。

そう見えなくもない。

すると、綺麗な整理が頭に浮かぶ。

仕舞に → Action

仕舞には → State / Result

おお。

分かった。

……と思いたくなる。

けれど、こういう時が、いちばん危ない。


3|そんなに綺麗ではない

「仕舞に」をもう少し見る。

十三章には、

が仕舞にとうとう堪え切れなくなった

がある。

何かを始めたわけではない。

耐え続けた末に、

堪え切れなくなる。

「仕舞に」のあとに、状態の変化が来ている。

別のところでは、

仕舞にアンニュイを感じ出した。

あるいは、

仕舞に何か用事を考え出そうとした。

「行為」と「状態」をきれいに二つへ分けることは、もう難しい。

では、「仕舞には」の方は状態なのだろうか。

これも、そう簡単ではない。

九章では、

父も仕舞には持て余して、とうとう……云い出した。

「仕舞には」のあとに、父の発話が来る。

しかも、その次の文は、

代助はそれから後は、一言も口を利かなくなった。

だった。

仕舞には。

それから後は。

一つの成り行きが、「仕舞には」へ来る。

そこで父が言う。

その発話が、次の「それから後」の前になる。

つまり、「仕舞には」が来たからといって、そこで文章の成り行きが閉じるわけではない。

仕舞には ≠ No Next.

そして、「仕舞に」はAction、「仕舞には」はState。

そんなふうに、助詞一つで仕事を決めることもできない。

Particle difference ≠ categorical Work difference.

綺麗な分類は、本文に戻したら壊れた。

でも、壊れたから失敗、というわけでもない。

むしろ、ここからである。

「仕舞に」とは何か。

「仕舞には」とは何か。

そうやって意味を分けようとするより、

それぞれの「仕舞」へ来るまでに、

何が続いていたのか。

そこで、

何が変わったのか。

そして、そのあと、

何が続いたのか。

そちらを見た方がよさそうである。

つまり、

WHAT仕舞?

ではなく、

HOW仕舞?


4|「万事終る」から、仕舞に降りる

十四章には、奇妙な並びがある。

代助は三千代を見送る。

姿が見えなくなる。

それから、歩を回らす。

そして、

「万事終る」

と腹の中で宣告する。

ここだけを見れば、強い終わりである。

万事。

終る。

残るものがないような言い方である。

けれど、本文はそこで止まらない。

雨が歇む。

夜になる。

月が出る。

代助は縁側から、長いあいだ外を眺めている。

そして、

仕舞に下駄を穿いて下へ降りた。

ここで「仕舞」は、「万事終る」と同じ仕事をしていない。

「万事終る」は、代助が宣告した言葉である。

「仕舞に」は、そのあとにも続いていた成り行きのなかに現れる。

眺めている。

長いあいだ、眺めている。

仕舞に、降りる。

何が「仕舞」なのか。

眺めることだろうか。

縁側にいることだろうか。

その夜のある時間だろうか。

「仕舞に」だけを見ても、決められない。

けれど、

どう仕舞ったか

なら、少し見える。

長く眺めていた。

仕舞に、下駄を穿いた。

そして、下へ降りた。

STAY / LOOK | HOW仕舞? | MOVE

「仕舞」は、停止として現れていない。

むしろここでは、

MOVE

が出てくる。

だから、

WHAT END ≠ HOW仕舞.

「何が終わったのか」と問うことと、「どう仕舞ったのか」をなぞることは、同じではない。


5|仕舞には。それから後は。

九章へ戻る。

父と代助のあいだで、話が続いている。

そして父は、

仕舞には持て余して、とうとう……云い出した。

ここにも、続いてきたものがある。

父が持て余す。

とうとう、言う。

「仕舞には」は、一つの成り行きの後ろの方にある。

けれど、その次の文は、

代助はそれから後は、一言も口を利かなくなった。

である。

面白い。

仕舞には。

そして、

それから後は。

一つの「仕舞」が、文章全体の仕舞にはなっていない。

父にとって続いてきた成り行きが、「仕舞には」あるところへ来る。

すると、その出来事が、今度は代助の

「それから後」

の前になる。

後だったものが、次の前になる。

POST can become PRE.

もちろん、「仕舞には」と「それから後」に、特別な文法的関係があると言いたいわけではない。

ただ、

一つの成り行きが仕舞へ来ても、別の成り行きは、そこから始まりうる。

A sequence can come to 仕舞
within another continuing sequence.

仕舞はある。

それからもある。


6|仕舞には、真赤になった

そして、十七章。

代助は電車に乗っている。

代助の頭は、電車の速力をもって回転し出す。

回転するに従って、火のように焙ってくる。

赤いものが、次々に代助の頭へ飛び込んでくる。

そして、最後の「それから」が出てくる。

赤ペンキの看板がそれから、それへと続いた。

続いた。

その次に、

仕舞には世の中が真赤になった。

とある。

ここだけなら、「仕舞には」が最後の状態を置いたようにも見える。

世の中が真赤になる。

仕舞。

終点。

けれど、また本文は止まらない。

次には、

そうして

が来る。

そして今度は、代助の頭を中心として、世の中の方が回転する。

最後には代助が、頭が焼け尽きるまで、電車に乗って行こうと決心する。

だから、

仕舞には世の中が真赤になった。

は、

小説の最後の出来事でもなければ、最後の文でもない。

仕舞には ≠ Textual end.

ここでも「仕舞」は、成り行きの外側に立って、すべてを閉じる標識ではない。

むしろ、

続いた。

その成り行きのなかで、

仕舞には

真赤になる。

そして、

そうして

また続く。

しかも、その前後で、回転するものまで変わっている。

はじめに回り出したのは、代助の頭だった。

「仕舞には」のあとでは、代助の頭を中心として、世の中の方が回る。

並べてみる。

それから、それへ。

続いた。

仕舞には。

そうして。

奇妙である。

「仕舞」が、Nextを消していない。


7|同じ仕舞、違うHOW

三つの「仕舞」を歩いた。

十四章では、長く眺める。

仕舞に、下へ降りる。

九章では、父が持て余す。

仕舞には、言う。

すると、

それから後、代助は言わなくなる。

十七章では、赤い看板が、それから、それへと続く。

仕舞には、世の中が真赤になる。

そして、

そうして

まだ続く。

同じ「仕舞」でも、その前に続いていたものが違う。

そこで起きることも違う。

そのあとに続くものも違う。

ならば、「仕舞」という語だけから、一つの仕事を取り出すことはできない。

Same「仕舞」≠ Same HOW.

そして、「仕舞に」と「仕舞には」を分類するだけでも、まだ足りない。

見なければならないのは、その「仕舞」が置かれたところで、

何が続いていたのか。

何が変わったのか。

何が、そのあとに続いたのか。

つまり、

「仕舞」とは何か。

ではなく、

どう仕舞うのか。


8|「仕舞」の振る舞い

「仕舞」を数えた。

32件あった。

「仕舞に」が13件。

「仕舞には」が12件。

「仕舞まで」が3件。

そのほかにも、「仕舞う」があり、「御仕舞」があり、「芝居の仕舞」があった。

最初は、形を分ければ、働きも分かるような気がした。

「仕舞に」は、何かをする。

「仕舞には」は、何かになる。

そんなふうに、きれいに分けられるようにも見えた。

けれど、本文を一つずつ歩いてみると、そうはいかなかった。

「仕舞に」のあとにも、状態の変化が来る。

「仕舞には」のあとにも、行為や発話が来る。

助詞だけでは、その「仕舞」が何をしているのかは決まらない。

Particle difference ≠ categorical Work difference.

そこで、前を見ることにした。

その「仕舞」まで、何が続いていたのか。

後ろも見ることにした。

その「仕舞」のあと、何が起きたのか。

すると、「仕舞」が、終点の名前には見えなくなってきた。

十四章では、

「万事終る」

と宣告したあとにも、時間が流れた。

代助は長いあいだ眺めていた。

そして、

仕舞に、下へ降りた。

九章では、父が、

仕舞には

持て余して、とうとう口を開いた。

すると、その次には、

それから後は

代助が口を利かなくなった。

十七章では、

それから、それへと続いた。

そのあと、

仕舞には

世の中が真赤になった。

そして、

そうして

まだ続いた。

「仕舞」はある。

けれど、「仕舞」のあとが、なくなるわけではない。

だからといって、「仕舞」は終わりではない、と決めてしまうのも、少し違う。

終わるものはある。

終わったと宣告されるものもある。

最後まで聞くこともある。

最後まで読むこともある。

何かが、仕舞へ来る。

ただ、

何かが仕舞うことと、Nextがなくなることは、同じではない。

では、「仕舞」とは何か。

そう問うていた。

けれど、

「それから」のときと同じように、一つずつなぞっているうちに、問いの方が変わった。

WHAT仕舞?

ではなく、

HOW仕舞?

何が仕舞なのか。

ではなく、

どう、そこへ来たのか。

どう、そこで変わったのか。

どう、そこからまた続いたのか。

見えてきたのは、「仕舞」の意味というより、

「仕舞」の振る舞いだった。

仕舞い方は、一つではない。

そして、仕舞ったからといって、その先がなくなるとは限らない。

では、

それからは、どう仕舞うのか。

まだ、わからない。

ただ、ここまで来た。

HOW仕舞?

それから……?


使用本文

夏目漱石『それから』青空文庫・新字新仮名版。
底本:新潮文庫『それから』(新潮社)。
初出:「東京朝日新聞」「大阪朝日新聞」、1909年6月27日〜10月4日。

本稿の「それから」79件、「仕舞」32件は、上記本文を対象とした文字列表記の採取による。

参照本文

夏目漱石「『それから』予告」青空文庫・新字旧仮名版。
底本:『漱石全集 第十六巻』(岩波書店、1995年)。
底本本文は「東京朝日新聞」初出(1909年6月21日)による。


CABA-03-K-03-DN|Development Note|それからの「それから」── 「それから」79件・「仕舞」32件 採取台帳と稿の生成記録


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