CABA-03-K|Kosoado

無彼の羅生門

── 此処と其処の楼上

v0.3


彼はいない。

老婆はいる。

下人もいる。

死人もいる。

鴉もいる。

けれど、彼はいない。

芥川龍之介『羅生門』を、こ・そ・あ・どを拾いながら読んでみた。

「こ」がいる。

「そ」がいる。

「ど」もいる。

ところが、「あ」がいない。

少なくとも、青空文庫の新字新仮名版『羅生門』には、「あの」「あれ」「あそこ」「ああ」「あんな」といった典型的な「あ」系列の指示詞が、一度も現れない。

だから、とりあえず名前をつけてみた。

無彼の羅生門。

もちろん、芥川が意図的に「あ」を避けた、と言いたいわけではない。

Absence ≠ Intention.

一つの作品に「あ」が現れないからといって、日本語について何かが分かったわけでもない。

ただ、ない。

そして、ないまま、小説は最後まで書かれている。


1|「この男」と、書いている作者

物語は、羅生門の下から始まる。

雨やみを待つ下人がいる。

本文は、その下人を繰り返し、

「この男」

と呼ぶ。

ほかにも、

「この二三年」

「この門」

「この平安朝」

「この局所」。

「この」が何度も現れる。

では、「この男」の「こ」は何をしているのだろう。

ここで一つ、面白いことがある。

この小説には、

作者がいる。

本文の中に、である。

「作者はさっき、『下人が雨やみを待っていた』と書いた。」

自分が書いたことを、自分で指し示す。

さらに、

「前にも書いたように」

と、自分の文章を振り返る。

では、「この男」の「こ」は、どこから出ているのだろう。

作者なのか。

語りなのか。

いま書かれている、この文章なのか。

まだ決めない。

ただ、

「この男」

と書かれている。

先へ行く。


2|下人の「この上」

下人は、一晩眠れそうな場所を探す。

門の上の楼へ続く梯子を見つける。

上りはじめる。

梯子の中段から、楼上を窺う。

そこで本文は、

「この上にいる者」

と書く。

ただし、この「この」を、先ほどの「この男」と同じように扱うわけにはいかない。

ここで書かれているのは、

「下人は、始めから、この上にいる者は、死人ばかりだと高を括っていた」

という、下人の側に寄った叙述だからである。

さらに、

「この雨の夜に、この羅生門の上で」

火をともしている者について、下人は推測する。

ここでも「この」は、下人の見ている場面、下人の思考に沿って現れる。

同じ「この」。

けれど、

「この男」と、

「この上」とでは、

同じように働いているとは限らない。

Same この ≠ Same Work ?

まずは、この問いだけ置いておく。


3|「どこへ行く」

楼上には、死人が転がっている。

その中に老婆がいる。

死人の髪を抜いている。

下人が姿を現すと、老婆は逃げようとする。

そこで下人が言う。

「おのれ、どこへ行く。」

「どこ」と尋ねている。

しかし、その直後、下人は老婆の行手を塞ぐ。

老婆が押しのけようとする。

下人が押し戻す。

行き先について答えを得てから行動するわけではない。

「どこへ行く」は、たしかに問いの形をしている。

けれど、この場面でしている仕事は、行き先についての情報収集だけではなさそうだ。

どこへ行く。

そして、

行かせない。


4|「そこへ」

二人は、死骸の中でつかみ合う。

やがて下人は老婆の腕をつかみ、

「無理にそこへねじ倒した」

と書かれる。

直前には、

「二人は死骸の中で」

とある。

だから「そこ」は、その場、死骸の中を受けているようにも読める。

けれど、「そこ」という地点が、あらかじめ独立した場所として名づけられていたわけではない。

死骸の中でつかみ合う。

そして、

そこへ

老婆をねじ倒す。

何を指しているのかを急いで固定せず、まずは、この「そこ」を拾っておく。


5|老婆の「ここ」

下人は老婆を問い詰める。

なぜ死人の髪を抜いていたのか。

老婆は答える。

自分の行為を弁明しながら言う。

「じゃが、ここにいる死人どもは……」

ここ。

今度は、老婆自身の言葉である。

この作品には、それまでにも大量の「こ」と「そ」が現れていた。

「この男」

「この門」

「その死骸」

「その老婆」

「そこで」

「それから」。

それらを全部、同じ働きだと考える必要はない。

「この」と「ここ」は同じではない。

「その」と「そこ」も同じではない。

接続的に働く「そこで」や「それから」まで、すべて同じ箱へ入れる必要もない。

Same family ≠ Same Work.

それでも、この楼上では、

「こ」と「そ」が、さまざまな形を取りながら現れる。

そして老婆自身が、

ここ

と言う。


6|「そこから」

老婆の話を聞いた下人は、老婆の着物を剥ぎ取る。

そして梯子を駆け下りる。

しばらくして、老婆が起き上がる。

火の光を頼りに、

「梯子の口まで」

這っていく。

その直後、

「そこから」

門の下を覗きこむ。

この「そこ」は分かりやすい。

直前の「梯子の口」を受けている。

先ほどの「そこへ」と、同じ「そこ」。

しかし、同じようには働いていないように見える。

Same そこ ≠ Same Work ?

問いだけ置いておく。

老婆がそこから見下ろした外には、

「黒洞々たる夜」

がある。


7|「あ」はいない。「ある」はいる。

ところで、

「あ」がない。

「あの」もない。

「あれ」もない。

「あそこ」もない。

「ああ」もない。

「あんな」もない。

けれど、この小説の冒頭には、別の「あ」がいる。

『羅生門』は、

「ある日の暮方」

から始まる。

さらに、

「ある強い感情」

「ある勇気」

「ある仕事」

が現れる。

もちろん、この「ある」は、「あの」「あれ」「あそこ」の「あ」ではない。

特定しないで指す、

或る

である。

だから、こそあどの「あ」がないという採取結果は変わらない。

ただ、

「あ」がない小説が、

「ある」から始まる。

この妙な並びは、そのまま置いておきたい。

無彼 ≠ 無或

説明はしない。

石だけ拾う。


8|行き先が消えた

そして、もう一つ。

この『羅生門』には、本文そのものの履歴がある。

1915年に『帝国文学』へ発表された初出では、現在とは結末が違っていた。

初出の下人には、

「京都の町へ」

という具体的な行き先が書かれていた。

のちの改稿で、その一文は消える。

現在の本文に残ったのは、

「下人の行方は、誰も知らない。」

である。

初出には行き先があった。

改稿後、その行き先は書かれない。

ここで、楼上の言葉を思い出したくなる。

「おのれ、どこへ行く。」

もちろん、芥川がこの二つを対応させるために結末を改稿した、と言うことはできない。

そこまでは分からない。

それでも、改稿後の『羅生門』には、

「どこへ行く」

という言葉があり、

最後には、

行き先が書かれていない。

この事実だけは、置いておける。


9|彼処がない

下人は楼上を去った。

梯子を駆け下りた。

夜へ消えた。

けれど、

「あそこへ行った」

とは書かれない。

「あの方へ」とも書かれない。

最後には、誰も行方を知らない。

それでも、この作品に遠くがないわけではない。

本文には、

「遠くから」

という言葉もある。

不在もある。

未知もある。

見えないものもある。

だから、

無彼 ≠ 無遠方
無彼 ≠ 無不在
無彼 ≠ 無未知

「あ」がないから、遠くがないわけではない。

「あ」がないから、見えないものがないわけでもない。

そして、

「あ」がなくても、小説は終わる。


10|無彼の羅生門

なぜ「あ」がないのか。

今回は、解かない。

芥川が意図的に避けたのか。

分からない。

「そ」が「あ」の代わりをしているのか。

それも、まだ決めない。

Zero occurrence ≠ Deliberate avoidance.
Absence ≠ Intention.
One text ≠ Japanese language.

まず、あったものと、なかったものを、そのまま置いてみる。

「この男」がいる。

「この上」がある。

「どこへ行く」と問う。

「そこへ」老婆を倒す。

老婆は、

「ここにいる死人ども」

と語る。

最後には梯子口まで這い、

「そこから」

下を見る。

そして下人は、どこへ行ったのか分からなくなる。

「こ」がある。

「そ」がある。

「ど」もある。

「あ」がない。

けれど、

「ある」はある。

だから、とりあえず、

無彼の羅生門。

此処と其処の楼上を、

まずは、

そこから

読んでみた。

……そこから?


Development Notes|無彼の羅生門

Observation first. Interpretation later.

Absence ≠ Intention
Zero occurrence ≠ Deliberate avoidance
One text ≠ Japanese language
Frequency ≠ Function
Surface family ≠ Same grammatical function
Same family ≠ Same Work
Same この ≠ Same Work ?
Same そこ ≠ Same Work ?
此処 ≠ every こ
其処 ≠ every そ
無彼 ≠ 無遠方
無彼 ≠ 無不在
無彼 ≠ 無未知
無彼 ≠ 無或

「無彼」=採取結果につけた仮の名前。説明ではない。

今回扱ったのは、青空文庫・新字新仮名版『羅生門』における語の出現と、その周辺での働きである。

一般的な指示詞論へは行かない。

比較作品へも行かない。

字源へも行かない。

「処」へも行かない。

作者の意図へも行かない。

改稿についても、

行き先が書かれていた/改稿後には書かれない

という差から先へは、まだ行かない。

『羅生門』の楼上にとどまる。

ただし、

下人は、もういない。


使用本文

芥川龍之介「羅生門」青空文庫・新字新仮名版。底本『芥川龍之介全集1』ちくま文庫。

本稿の採取は、この改稿後の本文を対象とした。『羅生門』は1915年11月『帝國文學』に初出し、1917年5月の短編集『羅生門』(阿蘭陀書房)を経て、1918年7月の短編集『鼻』(春陽堂)収録時に大幅な改稿が行われた。『芥川龍之介大事典』によれば、この『鼻』収録時に、下人が京都の町へ強盗に向かうことを記した初出の結末から、現在の「下人の行方は、誰も知らない。」へ結びの一文が改められた。レファレンス協同データベース

したがって、本稿で確認した「あ」系列の不在は、改稿後の使用本文についての観察であり、初出本文について同じことを主張するものではない。


CABA-03-K-01-DN|Development Note|無彼の羅生門 ── こ・そ・あ・ど 全件採取台帳と稿の生成記録


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| Drafted Sep 26, 2026 · Revised Sep 26, 2026 |