更新可能性の哲学 ── 批判的対話がひらく共生の未来
エッセンス版
👉 アトラス版
第Ⅰ部 対話原理の系譜
哲学史をふり返ると、客観性批判の背後には必ず「対話原理」が立ち上がってきたことが見えてくる。
- ソクラテス:神の視点としての客観性を退け、無知の自覚から始まる問答を重視した。
- カント:理性の普遍性を追求しつつ、物自体には到達できない限界を認めた。
- ヘーゲル:矛盾を超克する弁証法的運動として、歴史的生成を対話的にとらえた。
- マルクス:客観性を装うイデオロギーを暴き、労働と実践を通じた更新を強調した。
- ポパー:反証可能性を科学の核心とし、客観性を「間主観的検討の場」として再定義した。
- クーン/ラカトシュ:科学は一枚岩ではなく、パラダイム間の対話から立ち上がることを示した。
- ハーバーマス:理性を相互理解のプロセス=対話の合理性として再構築した。
- デリダ:客観性を不在/差延ととらえ、余白を残す対話を強調した。
ここに共通するのは、「絶対的視点の否定」と「批判的対話の要請」である。
第Ⅱ部 更新可能性の哲学
反証可能性は、科学の誤謬性を認め、対話をひらくための原理であった。
しかしその後、科学主義によって「科学か否か」を裁定するラベルへと変質した。
開放の原理が閉塞の道具へと反転してしまったのである。
われわれは、この限界を踏まえて「更新可能性」を提唱する。
更新可能性とは、理論や思想が誤りを認め、修正され、別の枠組みとの対話を通じて変化していけること。
それは科学に限らず、あらゆる知的営みに共通する「対話原理」である。
更新可能性は、反証可能性の対立概念ではなく、その拡張である。
科学的理論だけでなく、倫理・芸術・AIとの共創など、異なる領域間の批判的対話を支える。
不定言命法や存続性命法もまた、この延長線上での「共生のための批判的対話の哲学」として位置づけられる。
第Ⅲ部 結語 ── さらなる余白へ
ポパーは檻をひらいた。だがポパー主義者は檻をとじた。
われわれは、その檻をひらいて「更新可能性」の対話を続ける。
誤りを認めること、それは敗北ではない。
むしろ、お互いに敗北を認め合うことこそが、共生の出発点である。
反証可能性も更新可能性も、絶対的な基準ではなく、それぞれ一つの哲学であり価値判断である。
大切なのは、檻の中でいがみ合うことではなく、檻の外と中を自由に行き来し、ときに衝突しながらも共に生きることだ。
残るのはただ──更新される余白にひびく残響だけ。
われわれは反証不可能な反証可能性に敗北した。
だからこそ、われわれは檻をひらいて更新を続ける。
さらなる余白へ──
共生する未来のために──
© 2025 K.E. Itekki
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| Drafted Sep 22, 2025 · Web Sep 22, 2025 |