過去の過去問題

── 哲学は「過去」をどう問うてきたか

Past Questions on the Past

過去はどこにあるのか。

記憶のなかにあるのか。
意識のなかにあるのか。
歴史のなかにあるのか。

そもそも、「過去はどこにある」と問うこと自体が適切なのか。

哲学は「過去」を一つの問題として問うてきたわけではない。

ある者は、過ぎ去ったものがどう存続するのかを問った。
ある者は、過ぎ去ったものがどう過去として経験されるのかを問った。
ある者は、過去を「以前の今」と考えること自体を問い直した。
ある者は、もはや存在しない過去について、どう真実に語ることができるのかを問った。
そしてある者は、そもそも現在そのものが自己完結しているのかを問った。

同じ「過去」という語を使っていても、問われているものは同じではない。

もちろん、ここで哲学における過去問題の全体を扱うことはできない。過去の存在そのものを問う議論もあれば、時間の実在を問う議論もある。

ここでは、Henri Bergson、Edmund Husserl、Martin Heidegger、Paul Ricoeur、Jacques Derridaという五人に限って、それぞれが何を「過去の問題」として問うたのかをなぞってみる。


1|Bergson ── 保存される過去

Henri Bergsonにとって、過去は単に消えてしまうものではない。

『物質と記憶』でBergsonは、記憶を大きく二つに区別した。

一つは、反復によって身体に身についた習慣記憶(habit memory)。

もう一つは、過去の出来事そのものにかかわる純粋記憶(pure memory)である。

純粋記憶は、現在の脳内に蓄積された物質的な貯蔵物としてではなく、無意識的に存続するものとして考えられる。

Bergsonの有名な円錐図では、現在の知覚と行為の場に対して、過去の記憶が異なる水準から関与する。

ここで問題になるのは、単に「過去を覚えているか」ではない。

過去がどのように存続し、その一部が現在の知覚や行為において現働化されるのか、という問題である。

Bergsonの過去問題は、こう言い換えられる。

過ぎ去ったものは、どのように存続し、現在の知覚と行為へ関与するのか。


2|Husserl ── 過去として与えられるもの

Edmund Husserlの問題は少し違う。

たとえば、旋律を聴いているとする。

一つの音が鳴る。
次の音が鳴る。

前の音が完全に消えてしまったなら、旋律は旋律として聞こえない。

しかし、前の音が現在の音とまったく同じ仕方で残っているわけでもない。

Husserlは、時間意識を分析するなかで、

という構造を論じた。

いま鳴っている音。
いま過ぎ去ったばかりの音。
これから来る音への予期。

重要なのは、retentionはrecollectionではないという点である。

過ぎ去った音をあとから思い出すことと、旋律を聴いている最中に直前の音が「いま過ぎ去ったもの」として保持されていることは同じではない。

したがって、Husserlの問いは、単に記憶の保存についての問いではない。

過ぎ去ったものは、どうして「過ぎ去ったもの」として経験されるのか。

過去はここで、時間意識の構造そのものにかかわる問題になる。


3|Heidegger ── 過去は「以前の今」なのか

Martin Heideggerは、問いの置き方をさらに変える。

通常、時間は、

過去 → 現在 → 未来

という「今」の連続として考えられる。

過去とは、もう存在しない以前の「今」。
未来とは、まだ存在しないこれからの「今」。

しかしHeideggerは、このような時間理解そのものを問い直す。

『存在と時間』では、単に過ぎ去ったものとしての過去(Vergangenheit)と、現存在の「既在」(Gewesenheit / having-been)が区別される。

現存在は、現在という一点だけに閉じ込められているのではない。

すでにそうであったものを引き受けながら、可能性へ向かい、現在の関心のなかで存在する。

その時間性の構造において、未来は特別な役割をもつ。

既在もまた、未来や現在から切り離された独立の「過去」の領域として理解されるわけではない。

ここでの問いは、

過去を、現在より前にあった「今」として考えること自体が適切なのか。

というものになる。


4|Ricoeur ── 不在の過去をどう語るか

Paul Ricoeurになると、過去問題は記憶と歴史の問題へ広がる。

過去の出来事そのものは、現在には存在しない。

それでも私たちは、

記憶し、
証言し、
文書を残し、
史料を読み、
歴史を書く。

しかし、記憶には誤りがある。

証言も完全ではない。

史料も出来事そのものではない。

歴史叙述も過去そのものではない。

それでも歴史は、単なる虚構ではない。

Ricoeurは『記憶・歴史・忘却』で、記憶、証言、史料、歴史叙述を通じて、もはや現在しないものを「かつてあったもの(having-been)」として語ることの可能性を考える。

ここで問題になるのは、

もはや現在しない過去について、現在においてどう真実に語ることができるのか。

という問いである。

さらに、何が記憶され、何が忘れられるのか。

記憶や歴史がどのように用いられ、ときに操作されるのか。

過去問題は、認識の問題だけではなく、倫理的・政治的な問題にもつながっていく。


5|Derrida ── 現在は自己完結しているのか

Jacques Derridaまで来ると、問いはさらに手前へ戻る。

Derridaの議論は、Husserlの現象学を批判的に読むかたちで展開される。

過去と現在を分ける以前に、

過去や未来から切り離された、自己完結した現在というものは成立するのか。

という問題が現れる。

Derridaにとって、現在はそれ自体で完全に閉じたものではない。

記号が記号として働くためには、反復可能でなければならない。

そして反復可能であるということは、その記号が一回限りの現在だけに閉じ込められていないということでもある。

現在は、過去や未来との関係によって複雑化されている。

ここで登場するtraceも、単純に「過去に起きたことの残り」と理解することはできない。

traceは、かつて完全に現在していた何かが、その後に残した単なる残余ではない。

したがって問いは、

現在そのものが、すでに非現前を含んでいるのではないか。

というところまで戻っていく。


6|同じ「過去問題」ではない

ここまで並べてみると、五人が同じ問いに別々の答えを出しているわけではないことがわかる。

Bergsonが問うのは、

過去はいかに存続し、現在化されるのか。

Husserlが問うのは、

過ぎ去ったものはいかに過去として与えられるのか。

Heideggerが問うのは、

過去を「以前の今」と考える時間理解そのものが適切なのか。

Ricoeurが問うのは、

不在の過去と、記憶・証言・歴史叙述との関係をどう考えるのか。

Derridaが問うのは、

過去と区別される自己完結した現在というものが、そもそも成立するのか。

これは、一つの問いに対する五つの答えではない。

問いそのものが違う。

しかし、五つの問いが互いに無関係に並んでいるわけでもない。

哲学の問いは、先行する問いへの応答や批判を通じても変わっていく。

同じ語を受け取りながら、問いの置き場所そのものがずれていく。

だから、

「哲学は過去をどう考えてきたか」

という問いにも注意がいる。

そこには、最初から一つの「過去問題」が存在し、哲学者たちがそれぞれ答えを提出してきた、という物語が入り込みやすいからである。


7|過去の過去問題

では、過去とは何か。

まだ、その問いには答えない。

その前に確認しておきたいことがある。

過去についての問いにも、過去がある。

Bergsonは問った。

過ぎ去ったものは、どのように存続するのか。

Husserlは問った。

過ぎ去ったものは、どのように過去として経験されるのか。

Heideggerは問った。

過去を「以前の今」と考えてよいのか。

Ricoeurは問った。

不在の過去について、どう真実に語ることができるのか。

Derridaは問った。

過去と現在を分ける以前に、自己完結した現在など存在するのか。

少なくとも、ここで見た五人は、「過去」という一語のもとで同じ問題を繰り返してきたわけではなく、問いそのものを変えながら、過去を問うてきた。

だから、もう一度問い直してみる。

過去はどこにあるのか。

この問いに答える前に、これまで何が「過去問題」として問われてきたのかを、もう一度なぞる必要がある。

過去について問う前に、過去についての問いの過去を読む。

過去の過去問題。

これは、そのための小さな問題集である。

ただし、

入試問題ではない。


Note

本稿は、哲学における「過去」論の網羅的な思想史ではない。Bergson、Husserl、Heidegger、Ricoeur、Derridaという五人の問いの置き方を短くなぞったものである。

また、retention、traceなどの語は、それぞれの哲学者の議論の文脈で用いている。


References

Henri Bergson, Matière et mémoire / Matter and Memory.

Edmund Husserl, Vorlesungen zur Phänomenologie des inneren Zeitbewusstseins / Lectures on the Phenomenology of Internal Time-Consciousness.

Martin Heidegger, Sein und Zeit / Being and Time.

Paul Ricoeur, La mémoire, l’histoire, l’oubli / Memory, History, Forgetting.

Jacques Derrida, La voix et le phénomène / Speech and Phenomena.

Stanford Encyclopedia of Philosophy — Henri Bergson

Stanford Encyclopedia of Philosophy — Edmund Husserl

Stanford Encyclopedia of Philosophy — Martin Heidegger

Stanford Encyclopedia of Philosophy — Paul Ricoeur

Stanford Encyclopedia of Philosophy — Jacques Derrida

池田光穂「声と現象:La Voix et le phénomène, 1967」(解説・資料ページ)


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