Homo editus
── 編集する種、編集される種
A Study of the Editing Element in Human Culture

序説|Homo editus
── 生命現象としてのEditingの本質と意味
ホモ・サピエンス。── 賢いヒト。
私たちは、自分たちの種にそういう名前をつけた。
ずいぶん大胆な自己命名である。
本当に賢いかどうかはともかく、この名前にはどこか、すでに出来上がったものを指す響きがある。
sapiens.
知るもの。
賢いもの。
人間が「何であるか」を名づける。
だが、Homo sapiens より前に、Homo erectus がいた。
立つヒト。
知るより前に、立っていた。
もちろん、Homo erectus が考えず、Homo sapiens だけが立っているという話ではない。
ここで注目したいのは、人間につけられた名前が露出させる焦点である。
Homo erectus が露出させるのは、
BODY.
Homo sapiens が露出させるのは、
BRAIN.
立つ身体。
知る脳。
だが、人間はいつから、身体と脳に分かれたのだろう。
脳は身体の外にない。
身体は脳から独立して生きているわけでもない。
立つことが変われば、見るものが変わる。
手が空けば、触れるものが変わる。
道具を使えば、身体が変わる。
火を使えば、食べるものが変わる。
食べるものが変われば、身体も変わる。
身体が変われば、Encounterの仕方が変わる。
Encounterが変われば、知ることも変わる。
ならば、もう一度ひとつに戻してみよう。
\[\boxed{ Homo\ erectus = BODY }\] \[\boxed{ Homo\ sapiens = BRAIN }\]そして、
\[\boxed{ Homo\ editus = BRAIN = BODY }\]ここでいう = は、解剖学的な同一性を意味しない。
人間を、脳と身体に分けてから関係づけるのではなく、相互に編集され続ける一つの生命processとして読むための記号である。
本稿では、そのようなHomoを、
Homo editus
と呼んでみる。
編集する種。
そして、編集される種。
1|編集する種としてのHomo editus
人間には、たくさんの名前がある。
Homo erectus.
立つヒト。
Homo sapiens.
知るヒト。賢いヒト。
Homo faber.
つくるヒト。工作するヒト。
そして、ヨハン・ホイジンガは、
Homo ludens.
遊ぶヒト。
という名前を掲げた。
人間は立つ。
知る。
つくる。
遊ぶ。
語る。
選ぶ。
食べる。
住む。
移動する。
他者と関係を結ぶ。
制度をつくる。
これらは、人間の異なる側面を露出させる。
しかし、これらを別々の能力として並べるだけではなく、その働きのほうから読みなおしてみたい。
つくるとは、何をしているのか。
遊ぶとは、何をしているのか。
知るとは、何をしているのか。
食べるとは。
住むとは。
移動するとは。
そこには、何か共通するprocessがあるのではないか。
すでにあるものとEncounterする。
受け取る。
選ぶ。
切る。
組み合わせる。
配置する。
変形する。
使う。
残す。
捨てる。
そして、その結果によって自らも変わる。
ここでは、このprocessをひとまず、
Editing
と呼んでみる。
Homo faber は、何もないところから道具を生み出したわけではない。
石を拾う。
割る。
削る。
木と組み合わせる。
すでにある物質とのEncounterから、別のconfigurationをつくる。
物質を編集する。
しかし、そこで起きているのは一方向の変化ではない。
道具をつくった手は、道具を使う手になる。
道具を使う身体は、道具を使える身体へ変わる。
人間が道具を編集する。
道具が人間を編集する。
\[Human \rightleftarrows Tool\]同じことは、遊びにも、言語にも、制度にも言える。
人間は遊びをつくる。
遊びが人間を変える。
人間は言葉を使う。
言葉によって、世界の見え方が変わる。
人間は制度をつくる。
制度によって、人間の行動が変わる。
編集するものは、
編集したものによって、
編集される。
ここにHomo editusの基本的な両価性がある。
\[\boxed{ Editing \rightleftarrows Being\ Edited }\]では、Homo sapiens はどうだろう。
知るとは、世界をそのまま脳のなかへコピーすることではない。
見る。
聞く。
触る。
嗅ぐ。
味わう。
比べる。
区切る。
名づける。
覚える。
忘れる。
語りなおす。
知ることは、BRAINだけの出来事ではない。
BODYが世界とEncounterする。
そのEncounterによってBRAIN=BODYが変わる。
変わったBRAIN=BODYが、また世界とEncounterする。
\[(BRAIN=BODY)_n \xrightarrow{Encounter} (BRAIN=BODY)_{n+1}\]Homo editus は、賢さを否定しない。
ただ、賢さを脳だけに閉じ込めない。
Homo sapiens。
考えるヒト。
知るヒト。
賢いヒト。
私たちは長いあいだ、Homoを、BRAINから眺めてきた。
しかし、Homoは最初から、脳だけでWorldにEncounterしていたわけではない。
立った。
歩いた。
手を使った。
物を運んだ。
食べた。
火を使った。
道具を使った。
留まった。
移動した。
排泄した。
Homoは、BODYとしてWorldにEncounterしてきた。
Homo sapiensである以前に、Homoの長い地層には、Homo erectusがいる。
もちろん、erectusからsapiensへという一本の進化の梯子を描きたいわけではない。
ここで注目したいのは、名前が残している視点の違いである。
erectus。
立つ身体。
sapiens。
考える脳。
近代のHomo sapiensは、あまりにもsapiensとして、読まれすぎたのではないか。
\[\boxed{ sapiens=BRAIN }\]その読みを、もう一度、立って歩く身体へ戻してみる。
脳は、身体から離れて考えたのではない。
立ち、歩き、食べ、使い、運び、留まり、
他者とEncounterする身体のなかで、脳もまたEditされてきた。
そして、脳は、身体のPracticeをEditしてきた。
\[\boxed{ BRAIN=BODY }\]ここで、Homoの見え方が変わる。
「考える種」だけではない。
Worldとのrelationを変え、そのrelationによって、自らも変えられ続ける種。
\[\boxed{ Editing \rightleftarrows Being\ Edited }\]Homo editus。
本稿でいうHomo editusは、Homo sapiensのあとに登場する新しい生物種ではない。
sapiensに、もう一つ名前を付け足すことでもない。
Homoを見る視点を変えるための名前である。
\[\boxed{ sapiens\ view \longrightarrow editus\ view }\]sapiensを捨てるのではない。
sapiensを、erectusの身体へ戻して読む。
考えることを、BODYのPracticeへ戻す。
すると、Homoの長い歴史が、別の姿で見えはじめる。
情報。通信。交通。都市。定住。料理。火。道具。
それらは、HomoがWorldを一方的に作り変えてきた歴史ではない。
WorldとのrelationをEditしながら、Homo自身もEditされ続けてきた、
Homo editusの軌道
として、読み直すことができる。
2|Edit概念とその射程
ここでいうEditは、狭い意味での「編集」ではない。
文章を直すことだけではない。
映像を切ることでもない。
写真を加工することでもない。
もちろん、それらもEditingである。
だが、本稿で問いたいのは、そのさらに手前にある。
何かとEncounterする。
そのすべてを同じように受け取るわけではない。
選択的に受け取る。
変形する。
配置を変える。
組み合わせる。
残す。
外へ出す。
そして、そのprocessを経たBRAIN=BODYが、次のEncounterへ向かう。
Editingとは、完成品をつくる操作ではない。
ひとまず、
次のrelationを変えるPractice
として考えてみたい。
「ひとまず」とするのは、この定義そのものも、後に編集されうるからである。
通常、編集という言葉にはEditorがいる。
\[Editor \rightarrow Edited\]主体が素材を選び、加工し、作品をつくる。
しかし、Homo editusでは、この矢印を固定できない。
人間は道具をつくる。
道具は人間の身体を変える。
人間は料理する。
料理は人間の身体を変える。
人間は家を建てる。
家は人間の暮らしを変える。
人間は都市をつくる。
都市は人間のEncounterを変える。
人間は交通をつくる。
交通は人間の空間と時間を変える。
人間は通信をつくる。
通信は人間のrelationを変える。
人間は情報環境をつくる。
情報環境は、人間のAttention、記憶、選択、Encounterを変える。
だから、
Homo editor
ではない。
人間はEditingの外側に立つEditorではないからである。
自らも素材になりながら編集する。
編集した環境のなかへ戻り、その環境によってまた編集される。
\[BRAIN=BODY \rightleftarrows Environment\]EditorとEditedは、固定された二つの存在ではない。
その位置そのものが、processのなかで入れ替わり続ける。
その意味で、
Homo editus
なのである。
そして、editus という語には奇妙なねじれがある。
ラテン語の分詞として見れば、そこには「出された」「そうされた」という完了の響きがある。
ところが、ここでいうHomo editusは、少しも完了しない。
編集されたものが、次を編集する。
そのEditingによって、また編集される。
\[edited_0 \rightarrow editing_1 \rightarrow edited_1 \rightarrow editing_2 \rightarrow \cdots\]完了分詞なのに、完了しない。
Homo sapiens が「何であるか」を名づけるとすれば、
Homo editus は、
何になりながら、何によって変わり続けているか
を問う。
完成した属性から、
更新され続けるprocessへ。
3|Homoの編集地層を掘る
では、Homoは何によって編集されてきたのか。
本稿では、現在から過去へ向かって掘ってみる。
最初にあるのは、
IP。
Digitalized Informatization.
情報がデジタル化され、世界規模で流通する現在から始める。
そこでは、二つの問いを置く。
IPとはなにか。
SNSとはなにか。
そして、この二つを横切る二本のprocessを見る。
\[\boxed{ Digitalization \times Globalization }\]デジタル化は、情報を初めて編集可能にしたのではない。
情報を編集する条件を変えた。
グローバル化は、世界を初めて接続したのではない。
Encounterが起きる空間的条件を変えた。
IPとSNSは、その交差点にある。
しかし、そこで終わらない。
Digitalization以前にも情報はあった。
Globalization以前にも遠隔relationはあった。
では、その下には何があるのか。
通信。
さらに掘る。
交通。
都市。
定住。
料理。
火。
道具。
\[IP \downarrow Communication \downarrow Transportation \downarrow Urbanization \downarrow Domestication \downarrow Cooking \downarrow Fire \downarrow Tool\]これは技術の進歩史ではない。
新しい技術が古い技術を乗り越えてきた物語でもない。
Homoが環境を編集し、
編集された環境によってHomo自身が編集されてきた、
相互Editingの地層を逆向きに掘る試みである。
そして最深部まで掘ったあと、もう一度、現在へ戻る。
AIへ。
AIを最初に置かない。
AIによって人間がどう変わるか、という未来予測からも始めない。
道具まで掘ってから、AIへ戻る。
そうしたとき、AIはまったく別のものとして見えるかもしれない。
道具を外部化してきたHomo。
火とのrelationをPracticeしてきたHomo。
食を調理してきたHomo。
居場所を建築してきたHomo。
Encounterを都市化してきたHomo。
移動を機械化してきたHomo。
通信を遠隔化してきたHomo。
情報をデジタル化してきたHomo。
そのHomoが、AIとEncounterしている。
ではAIとは何なのか。
Editingのための新しい道具なのか。
Editing apparatusなのか。
Co-Editorなのか。
それとも、この問い方そのものがすでに古いのか。
まだ決めない。
道具まで掘ってから、
もう一度問う。
Coda|Sub specie editionis
Homo erectus.
BODY.
Homo sapiens.
BRAIN.
そして、
Homo editus.
\[\boxed{ BRAIN=BODY }\]人間は立った。
知った。
つくった。
遊んだ。
食べた。
住んだ。
移動した。
伝えた。
記録した。
そのたびに世界を編集した。
そのたびに、編集された世界によって自らも編集された。
ホイジンガは、人間文化を遊びの相のもとに読みなおした。
ここでは、
Editingの相のもとにHomoを読みなおす。
sub specie editionis.
Homo editus.
編集する種。
編集される種。
完成した人間像ではない。
BRAIN=BODYとして、世界とのEncounterのなかで編集され続ける生命processにつけられた仮の名前である。
そして、Homoの地層を掘り終えたとき、
もう一つの問いが残る。
Editingは、本当にHomoから始まったのか。
その問いは、まだ掘らない。
まずは、
Homoから始めよう。
Homo editus(目次)
序説|Homo editus── 生命現象としてのEditingの本質と意味
I|IP── Digitalized Informatization
情報を編集する種、情報に編集される種
II|通信── Telecommunicationization
身体を運ばずにrelationを運ぶ
III|交通── Motorized Mobilization
身体を運び、Localを編集する
IV|都市── Urbanization
集まり、留まり、Localを編集する
V|定住── Domestication
留まる種、留まることで編集される種
V½|Matter Encounter── たべる生命、つかう生命
VI|料理── Feeding Curation
美味しいをなぞる身体
VII|火── Firing Choreography
EditorをEditする
VIII|道具── Tooling Fabrication
食えない物質を、つかう身体
VIII½|排泄する生命── TUPするEditing Life
IX|AI── ふたつのEditus
Homo editus meets AI editus ?
補論|プロンプトより現場の足場── AI生成を支えるScaffold Practice
\[\boxed{\textit{sub specie editionis}}\]
I|IP
── Digitalized Informatization
情報を編集する種、情報に編集される種
スマートフォンを手にする。
画面に触れる。
読む。
書く。
撮る。
切る。
検索する。
選ぶ。
送る。
消す。
共有する。
私たちは毎日、情報を編集している。
それほど意識することもなく。
編集しているという意識すらないまま。
しかし、同じ画面には、こちらが選ばなかったものも現れる。
通知が届く。
検索候補が出る。
おすすめが並ぶ。
広告が挟まる。
タイムラインの順序が変わる。
誰かの投稿が突然目に入り、それまで知らなかった出来事とEncounterする。
私たちは情報を編集している。
同時に、
情報環境によって編集されている。
ここから始めよう。
現在のHomo editusから。
1|IPとはなにか
IPとは何だろう。
Internet Protocol。
もちろん、それがIPである。
ネットワーク上で情報を送り届けるためのprotocol。
しかし、ここで考えたいIPは、その技術仕様だけではない。
IPによって可能になった世界で、Homoに何が起きたのか。
情報は、インターネット以前にもあった。
文字があった。
本があった。
新聞があった。
手紙があった。
写真があった。
レコードがあった。
ラジオがあった。
テレビがあった。
情報は保存され、複製され、編集され、運ばれてきた。
だから、
デジタル化によって情報が初めて編集可能になったわけではない。
変わったのは、
Editingの条件である。
文字をコピーする。
写真を複製する。
音を切り取る。
映像を編集する。
世界の反対側へ送る。
保存する。
検索する。
呼び出す。
組み合わせる。
再び流通させる。
それぞれは以前から可能だった。
しかし、それらに必要だった時間、距離、費用、装置、身体、技術が大きく変わった。
情報の内容だけではない。
情報とEncounterする条件そのものが編集された。
これをここでは、
Digitalized Informatization
として見てみたい。
Digitalizationとは、世界を情報にしたことではない。
Informatizationとは、情報を増やしたことだけでもない。
情報を生成し、保存し、複製し、検索し、編集し、流通させるrelationが、デジタル環境によって組み替えられた。
つまり、
\[Information \rightarrow Digital\ Information\]だけではない。
むしろ、
\[\boxed{ Conditions\ of\ Editing \rightarrow Digitalized }\]である。
しかし、まだ何か足りない。
デジタル化された情報が、自分の机の上だけにあったなら、現在のIP環境にはならない。
情報は、
遠くへ行く。
国境を越える。
言語を越える。
時差を越える。
異なる制度、文化、身体のあいだを移動する。
ここでDigitalizationに、もう一本のprocessが交差する。
Globalization.
\[\boxed{ Digitalization \times Globalization }\]デジタル化は、情報のconfigurationを変えた。
グローバル化は、情報がEncounterするrelationの範囲を変えた。
この二つは同じものではない。
どちらがどちらを生んだわけでもない。
しかし両者が交差した場所に、現在のIP環境がある。
そして、
そこにHomo editusがいる。
2|SNSとはなにか
この構造がもっとも日常的に露出する場所の一つがSNSである。
SNSとは何だろう。
Social Networking Service.
人と人をつなぐサービス。
そう説明することはできる。
しかし、本当に「つなぐ」だけなのだろうか。
SNSでは、私たちは絶えず編集している。
何を書くか。
何を書かないか。
どの写真を載せるか。
どこを切るか。
誰をフォローするか。
誰をフォローしないか。
何に反応するか。
何を無視するか。
何を共有するか。
何を削除するか。
SNSとは、relationが最初からそこにあって、それを表示する装置ではない。
relationそのものがEditingされ続ける場所である。
しかも、Editorは人間だけではない。
タイムラインには順序がある。
推薦がある。
検索結果がある。
通知がある。
表示されるものと、表示されないものがある。
数えられる反応がある。
数えられない反応がある。
アルゴリズムがある。
インターフェースがある。
私たちはSNSを使っている。
しかし、SNSのconfigurationもまた、
何を見るか。
誰とEncounterするか。
何に注意を向けるか。
いつ反応するか。
何を重要だと思うか。
その条件を編集している。
\[Homo \rightarrow SNS\]ではない。
\[\boxed{ Homo \rightleftarrows SNS }\]である。
編集する。
編集される。
その繰り返しのなかで、次のrelationが生成される。
ここに、
Homo editus
が露出する。
3|Digitalization × Globalization
そしてSNSにも、先ほどの二本のprocessが走っている。
Digitalization.
Globalization.
SNSでは、言葉も写真も音も映像も、デジタル情報として同じ画面へ流れ込む。
同時に、その画面には世界各地からTraceが届く。
遠くにいる誰かの言葉が、
いま、手元の画面に現れる。
ここでは情報だけが移動しているのではない。
Encounterの配置が変わっている。
かつて出会わなかったものと出会う。
かつて同時には並ばなかったものが並ぶ。
かつて別々の場所にあった出来事が、一つの画面に配置される。
Digitalizationは、情報の編集条件を変えた。
Globalizationは、Encounterの空間条件を変えた。
そして、その交差点で、
変わったのは、BRAINだけではない。
画面を見る。
指を動かす。
姿勢を変える。
歩きながら見る。
電車のなかで見る。
食事をしながら見る。
眠る直前まで見る。
目覚めてすぐ見る。
スマートフォンは情報装置である。
しかし、それを使っているのは、
脳だけではない。
BODYである。
そして、そのBODYにはBRAINがある。
\[\boxed{ BRAIN=BODY }\]IPは、Homo sapiensの脳に情報を大量投入しただけではない。
Homo erectusから続く身体のPracticeそのものを編集した。
立つ。
座る。
歩く。
見る。
触る。
待つ。
話す。
眠る。
そのなかにデジタル情報環境が入り込んだ。
だからスマホピエンスとは、sapiensにスマホを付け足した存在ではない。
BRAIN=BODYが、デジタル化・グローバル化された情報環境とのrelationのなかで編集され続けるHomo editusの現在形
として見ることができる。
4|IPの下には何があるか
しかし、ここで止まってはいけない。
Digitalizationは突然始まったのではない。
GlobalizationもIPが発明したものではない。
遠くへ情報を送るPracticeは、もっと古い。
声を届ける。
文字を運ぶ。
信号を送る。
手紙を送る。
電信を送る。
電話をかける。
放送する。
人間は、デジタル化よりずっと前から、
離れた場所とのrelationを編集してきた。
ならば、IPの下には何があるのか。
掘ってみよう。
そこには、
通信
がある。
IPという現在の地層を支えている、もっと古いEditingの地層。
次は、
Telecommunicationization
を掘る。
II|通信
── Telecommunicationization
身体を運ばずにrelationを運ぶ
遠くにいる人と話す。
いまでは、それほど不思議なことではない。
電話をかける。
メッセージを送る。
メールを書く。
映像で話す。
SNSに投稿する。
こちらにいる身体と、あちらにいる身体が、
同じ場所にいないままrelationをもつ。
私たちはこれを、
通信
と呼んでいる。
だが、通信とは何だろう。
距離をなくすことだろうか。
世界を一つにつなぐことだろうか。
そうではない。
通信しても、
こちらはこちらにいる。
あちらはあちらにいる。
距離はなくならない。
身体も消えない。
むしろ通信とは、
離れたLocalを、LocalのままrelationさせるPractice
なのではないか。
ここから掘ってみよう。
1|Localとはなにか
通信には、少なくとも二つの場所がいる。
こちら。
あちら。
送る場所。
受け取る場所。
\[Local_A \qquad Local_B\]通信が始まる前から、二つのLocalは存在する。
いや、正確には、通信というrelationが成立したとき、
こちらとあちらが、二つのLocalとして露出する。
電話をかける。
「もしもし」
という。
こちらがある。
向こうがある。
そのあいだに通信がある。
IPの地層では、Globalization が見えていた。
世界規模で情報が流通する。
国境を越える。
言語を越える。
時差を越える。
しかしGlobalを掘ってみると、その地下にはLocalがある。
Globalとは、Localが消えた状態ではない。
むしろ、
\[Local_A \leftrightarrow Local_B \leftrightarrow Local_C \leftrightarrow \cdots\]LocalとLocalのrelationが拡張されたconfigurationとして見ることができる。
つまり、
Globalの地下にはLocalがある。
通信はLocalを消さない。
Localを残したまま、LocalとLocalのあいだにrelationをつくる。
2|Nodeとはなにか
しかし、Localはそのままではつながらない。
声を遠くへ届ける。
文字を運ぶ。
信号を送る。
電話をつなぐ。
電波を受け取る。
そこには、relationが出入りする場所がいる。
Node.
\[Local_A \rightarrow Node_A \cdots Node_B \rightarrow Local_B\]Nodeは、ただの中継点ではない。
送る。
受け取る。
変換する。
振り分ける。
増幅する。
蓄える。
次へ渡す。
通信とは、AからBへ何かが一直線に飛んでいくことではない。
複数のNodeを介しながら、relationが成立する条件を編集することである。
人間自身もNodeになりうる。
手紙を受け取り、
別の人へ伝える。
話を聞き、誰かに話す。
新聞を読み、その内容を話題にする。
電話を受け、別の場所へ連絡する。
Nodeは機械だけではない。
人間も、場所も、装置も、制度も、NodeとしてPracticeされうる。
だから通信networkとは、機械のnetworkだけではない。
異なるLocalをrelationさせるNodeのconfiguration
として見ることができる。
3|Interconnectionとはなにか
Nodeが一つだけなら、
一本のconnectionで終わる。
しかしNodeが増えると、connection同士がつながり始める。
\[Node_A \leftrightarrow Node_B \leftrightarrow Node_C\]さらに、
\[Node_A \leftrightarrow Node_D\]が加わる。
一本の線ではない。
複数のconnectionが、互いにconnectionする。
Interconnection.
ここで通信は、単なる「遠くへ伝える技術」ではなくなる。
誰と誰がつながるか。
どこを経由するか。
どこで変換されるか。
どこで止まるか。
どこから別のconnectionへ移るか。
relationそのものが、networkのconfigurationによって編集される。
人間はnetworkをつくる。
networkは人間のEncounterを変える。
\[Homo \rightleftarrows Network\]ここにも、
Editing / Being Edited
がある。
そして、このInterconnectionを拡張していけば、IP篇で見たGlobalizationへ戻っていく。
だが、Globalizationとは、LocalをGlobalへ置き換えることではなかった。
LocalとLocal。
NodeとNode。
connectionとconnection。
それらのInterconnectionが拡張することで、あとからGlobalというconfigurationが露出する。
\[Local \rightarrow Node \rightarrow Interconnection \rightarrow Global\]Globalは、Localの反対ではない。
Local間relationの一つの露出形態である。
4|Analogとはなにか
現在の通信は、ほとんどデジタル化されている。
だから私たちは、Digitalではない通信を、ついAnalogとしてまとめてしまう。
しかし、
Digital以前は、すべてAnalogだったのだろうか。
声。
身振り。
煙。
光。
旗。
太鼓。
文字。
手紙。
電信。
電話。
ラジオ。
テレビ。
これらはすべて、Digital以前から使われてきた通信のPracticeである。
しかし、すべてを同じ意味でAnalogと呼ぶことはできない。
声の波。
電話の電気信号。
ラジオの電波。
そこでは、ある連続的な変化が、別の連続的な変化として対応づけられる。
これはAnalogと呼べる。
しかし、文字はどうだろう。
旗はどうだろう。
モールス信号はどうだろう。
煙による合図はどうだろう。
そこには、区切りがある。
符号がある。
選択がある。
組み合わせがある。
Digital以前にも、すでにDiscreteなEditingは存在していた。
つまり、
\[Digital \neq Post\text{-}Analog\]と単純には言えない。
Digital以前の世界が、すべてAnalogだったわけではない。
むしろDigitalizationによって、
それ以前の多様な通信Practiceの一部が、
あとからAnalogという一つのカテゴリーにまとめて見えるようになった。
Digital / AnalogというCutそのものが、Digital以後の視点によって強く露出したのである。
では、Digitalization以前の通信に共通していたものは何か。
Analogであることではない。
変換すること。
声をsignalにする。
出来事を文字にする。
意味を符号にする。
符号を電気的変化にする。
電気的変化を音にする。
受け取ったsignalを、再びrelationとしてPracticeする。
\[A \rightarrow Transformation \rightarrow B\]同じものが、そのまま遠くへ運ばれるわけではない。
何かが別のconfigurationへ変換され、Nodeをまたぎ、別のLocalで再び受け取られる。
通信とは、Digitalになる以前から、
Transformationを含むEditing
だった。
Digitalizationが起こしたのは、通信をAnalogからDigitalへ、一本の線で進歩させたことではない。
すでに存在していた、符号化、変換、保存、複製、伝送、再生、接続、というPracticeを、別のconfigurationへ組み替えたことである。
だからIPから通信へ逆に掘ると、Digitalの下からAnalogが出てきて終わるわけではない。
さらに掘ると、
Analog / DigitalというCutをまたいで、もっと古いPracticeが見えてくる。
変換して、遠くへ渡す。
しかし、何を変換して遠くへ渡しても、まだ動いていないものがある。
通信している 身体である。
5|身体はどこにいるのか
そして通信には、もう一つ重要な特徴がある。
通信しているあいだ、身体はどこにいるのか。
こちらの身体は、こちらにいる。
向こうの身体は、向こうにいる。
\[Body_A \in Local_A\] \[Body_B \in Local_B\]身体そのものを、相手のところまで運ばなくてもいい。
声が行く。
文字が行く。
signalが行く。
情報が行く。
relationが遠隔化する。
しかし、身体はLocalに残る。
ここに通信の奇妙な力がある。
もちろん、身体は完全に固定されているわけではない。
手紙を書く。
電話機まで歩く。
アンテナを立てる。
端末を持つ。
画面を見る。
声を出す。
指を動かす。
通信にも身体のPracticeがいる。
ここでいう身体固定とは、
身体が静止しているという意味ではない。
relationを成立させるために、身体そのものを相手のLocalまで運ぶ必要がない
ということである。
\[\boxed{ Relation\ moves \qquad Body\ stays\ Local }\]通信は、身体とrelationを一時的に分離した。
いや、分離したというより、
身体をLocalに残したままrelationの到達範囲を拡張した。
これはHomo editusにとって大きなEditingだった。
Homo erectusは、立つ身体だった。
身体は場所をもつ。
どこかに立つ。
どこかに座る。
どこかで眠る。
通信は、そのLocalな身体を消さずに、Localを越えるrelationを可能にした。
\[BODY_{Local} \rightleftarrows Relation_{Remote}\]BRAINだけが遠くへ行くのでもない。
BODYが消えるのでもない。
BRAIN=BODYはLocalにありながら、遠隔relationへ参加する。
Telecommunicationizationとは、
このconfigurationが拡張されてきたprocessとして見ることができる。
6|身体を動かす
では、身体そのものを別のLocalへ運ぶときはどうなるのか。
通信では、
\[Relation\ moves\]だった。
身体はLocalに残ることができた。
しかし人間は、relationだけを遠くへ運んできたわけではない。
自分自身も運んできた。
歩く。
乗る。
運ぶ。
移る。
Local_Aにいた身体が、Local_Bへ行く。
\[Body_A: Local_A \rightarrow Local_B\]ここでは、relationだけではなく、
BRAIN=BODYそのものが移動する。
通信の地下をさらに掘ると、別のEditingが見えてくる。
Telecommunicationizationから、
Motorized Mobilizationへ。
交通。
次は、身体を運ぶHomoを掘る。
III|交通
── Motorized Mobilization
身体を運び、Localを編集する
通信は、身体を運ばずに、
遠くとのrelationを可能にした。
\[Relation\ moves,\qquad BODY\ stays\ Local\]しかし、Homoはrelationだけを遠くへ運んできたわけではない。
自分自身も運んできた。
歩く。
走る。
乗る。
渡る。
運ぶ。
移る。
こちらにいた身体が、あちらへ行く。
\[\boxed{ BRAIN=BODY: Local_A\rightarrow Local_B }\]交通とは、身体を移動させるPracticeである。
だが、それだけではない。
身体が移動するようになると、こちらとあちらのrelationが変わる。
近いと遠いが変わる。
行けると行けないが変わる。
住める場所が変わる。
働ける場所が変わる。
会える相手が変わる。
そして、Localそのものが変わる。
交通とは、身体を運ぶだけではない。
身体を運ぶことで、Localを編集するPracticeである。
1|Moveとはなにか
Homoは動く。
Homo sapiensより前から、Homo erectusは動いていた。
立つ。
歩く。
走る。
身体は、一つの場所に固定された物体ではない。
\[BODY: Here\rightarrow There\]移動する身体である。
しかし、Moveは交通と同じではない。
散歩する。
さまよう。
獲物を追う。
逃げる。
季節に応じて移動する。
まだ行き先が決まっていない移動もある。
同じ場所へ戻る移動もある。
移動した結果として、あとから軌跡が残ることもある。
だから、
\[Move \neq Transportation\]である。
交通とは、Moveそのものではない。
では、何が加わると交通になるのか。
移動が繰り返される。
こちらから、あちらへ。
また、
こちらから、あちらへ。
すると、移動可能性そのものが編集され始める。
道ができる。
渡る場所が決まる。
通る場所が選ばれる。
出発地と到着地がrelationをもつ。
Moveに、
Route
が生まれる。
2|Routeとはなにか
道をつくる。
橋を架ける。
航路を定める。
線路を敷く。
道路をつなぐ。
航空路を設定する。
身体は、ただ移動するだけではなくなる。
移動可能性がRouteとして編集される。
\[Move \rightarrow Route\]Routeは、どこからどこへ移動するかを方向づける。
毎回、新しい経路を探さなくてもいい。
同じ経路を、別の身体も使うことができる。
移動は反復可能になる。
しかし、RouteはMoveそのものではない。
そして、
RouteはSupportそのものでもない。
\[\boxed{ Move\neq Route }\] \[\boxed{ Support\neq Route }\]Routeが示すのは、
どこを通るか。
Supportが可能にするのは、
そこを通れること。
Routeがあっても、それだけでは身体は移動できない。
道を通れるようにする地面がいる。
川を渡れるようにする橋がいる。
列車を走らせる線路がいる。
乗り降りする駅がいる。
船を着ける港がいる。
休む場所がいる。
整備する場所がいる。
\[\boxed{ Support\ makes\ Route\ usable }\]交通とは、
RouteだけをつくるPracticeではない。
Routeを使えるようにするSupportを組むPracticeでもある。
そして、Routeが強く方向づけられるほど、身体はそのRouteに沿って移動しやすくなる。
速く。
安全に。
反復的に。
しかし同時に、Routeの外へ移動することが難しくなる場合もある。
レールは典型的である。
列車は、レールに沿って驚くほど速く移動できる。
しかし、レールを外れては走れない。
Routeは、移動可能性を増やす。
そして同時に、
移動可能性をCutする。
交通とは、
自由なMoveを増やすことだけではない。
どのMoveを可能にするかを編集するPracticeでもある。
そして、Routeを実際に移動するためには、身体だけでは足りないことがある。
身体とともに移動するSupport。
Vehicle
が現れる。
3|Vehicleとはなにか
しかし、身体だけで移動できる距離には限界がある。
そこでHomoは、
別のものと一緒に移動するようになる。
馬。
橇。
舟。
車。
列車。
自動車。
飛行機。
Vehicle.
徒歩では、
\[BODY\ moves\]だった。
Vehicleが入ると、
\[\boxed{ BODY+Vehicle }\]が移動する。
Vehicleは、身体の代わりではない。
身体を消すわけでもない。
乗る。
座る。
つかまる。
漕ぐ。
操縦する。
運転する。
降りる。
待つ。
乗り換える。
Vehicleが変わるたびに、身体のPracticeも変わる。
馬に乗る身体。
舟を漕ぐ身体。
列車に座る身体。
自動車を運転する身体。
飛行機に乗る身体。
同じBODYではある。
しかし、
Environmentとのrelationは同じではない。
\[BODY \rightleftarrows Vehicle \rightleftarrows Environment\]HomoがVehicleを編集する。
VehicleがHomoの身体を編集する。
ここにも、
Editing / Being Edited
がある。
そしてVehicleによって、身体の到達範囲が変わる。
歩いて行けなかったところへ、行けるようになる。
一日かかったところへ、数時間で行けるようになる。
海を越える。
山を越える。
大陸を越える。
ここで、交通の別の要素が前景化する。
Speed.
4|Speedとはなにか
交通は、Motorization以前から存在した。
人は歩いた。
馬に乗った。
舟を漕いだ。
帆を張った。
荷物を運んだ。
だから、
\[Transportation \neq Motorized\ Transportation\]である。
Motorizationは、移動を発明したのではない。
移動の条件を編集した。
蒸気機関。
内燃機関。
電動機。
MotorがVehicleと結びつくと、
身体の能力だけでは決まらない速度で、身体そのものを運べるようになる。
ここで変わったのは、単なる最高速度ではない。
距離。
時間。
頻度。
容量。
到達範囲。
反復可能性。
移動のconfiguration全体が変わった。
\[Distance\]そのものが縮んだわけではない。
しかし、同じDistanceを移動するために必要な時間が変わる。
すると、遠かった場所が近くなる。
昨日までは、
「遠すぎて行けない」場所だった。
今日は、
「日帰りできる」場所になる。
昨日までは、
別のLocalだった。
今日は、
「通勤圏」になる。
つまりSpeedは、身体を速く動かすだけではない。
Localの意味を編集する。
\[\boxed{ Speed\ edits\ Local }\]近い。
遠い。
通える。
通えない。
会える。
会えない。
運べる。
運べない。
その境界が変わる。
Motorized Mobilizationとは、
BODYの速度を上げることだけではない。
BODYとLocalのrelationを組み替えるprocessなのである。
5|Infrastructureとはなにか
しかし、Vehicleだけでは交通は成立しない。
自動車には道路がいる。
列車には線路がいる。
船には港がいる。
飛行機には空港がいる。
橋。
トンネル。
駅。
停留所。
信号。
標識。
車庫。
給油所。
整備施設。
交通は、無数のSupportによって可能になっている。
Infrastructure.
\[BODY+Vehicle \rightleftarrows Infrastructure\]Infrastructureは、ただVehicleを支えているだけではない。
どこを通れるか。
どこで止まれるか。
どこで乗れるか。
どこで降りられるか。
どこへ行きやすいか。
どこへ行きにくいか。
Routeをusableにしながら、身体のMoveそのものを編集する。
\[\boxed{ BODY+Vehicle \rightleftarrows Route+Infrastructure }\]Routeが方向づける。
Infrastructureが支える。
Vehicleが運ぶ。
BODYが移動する。
交通は、そのconfiguration全体によってPracticeされる。
そしてInfrastructureは、移動を支えて終わるわけではない。
道路。
駅。
港。
交差点。
ターミナル。
空港。
そこには、人や物やPracticeが集積しうる。
通信篇で出会った、
Node
が、ここで別の姿で現れる。
通信では、Nodeは離れたLocalをInterconnectした。
交通では、身体そのものがNodeへやってくる。
通る。
待つ。
乗る。
降りる。
出会う。
働く。
売る。
買う。
泊まる。
Nodeは、通過点であると同時に、
Encounterが集積しうるLocal
になる。
もちろん、交通が都市を生み出したわけではない。
都市には、交通だけでは説明できない長い地層がある。
しかし、交通Infrastructureは、
人や物やPracticeが集積するLocalのconfigurationを、大きく編集してきた。
\[Transportation \rightleftarrows Local\]身体を移動させることで、Localが変わる。
Localが変わることで、身体の移動も変わる。
交通は、その相互Editingのなかで持続する。
では、身体はなぜ、移動するだけでなく、あるLocalに集まり、滞在するのか。
交通の地下をさらに掘ってみよう。
そこには、移動とは異なるPracticeがある。
集まる。
留まる。
暮らす。
Localをつくり変える。
そこに現れるのは、都市である。
IV|都市
── Urbanization
集まり、留まり、Localを編集する
身体は移動する。
歩く。
乗る。
運ぶ。
遠くへ行く。
交通は、
\[BRAIN=BODY: Local_A\rightarrow Local_B\]を可能にしてきた。
しかしHomoは、移動し続けるだけではない。
ある場所に留まる。
戻ってくる。
暮らす。
そして、
他の身体と同じLocalにいる。
Stay.
都市を、ここから考えてみよう。
人が多い場所としてではなく、建物が多い場所としてでもなく、
異なるBODYが、同じLocalにStayし続けるPractice
として。
1|Stayとはなにか
Stayとは、動かないことではない。
都市の身体は、むしろよく動く。
家を出る。
働く。
買う。
売る。
会う。
遊ぶ。
帰る。
別の都市へ行くこともある。
それでも、あるLocalとのrelationが持続する。
\[\boxed{ Stay\neq Stillness }\]Stayとは、
身体を一点に固定することではない。
移動しながらも、あるLocalとのrelationを持続すること
である。
交通篇では、MoveによってLocalが編集された。
速く移動できるようになれば、遠い場所が通える場所になる。
行けなかった場所へ行けるようになる。
しかし都市では、別のEditingが起きる。
Localを、
留まり続けられる場所へ編集する。
眠る。
食べる。
飲む。
働く。
排泄する。
守る。
育てる。
交換する。
出会う。
身体は、ただ場所を占めるのではない。
Localとのrelationを反復しながら、そのLocalを編集する。
Localもまた、そこに留まる身体を編集する。
\[\boxed{ BRAIN=BODY \rightleftarrows Local }\]都市は、この相互Editingが高密度に持続する場所である。
2|Divisionとはなにか
一つの身体が、すべてをする必要はない。
食べ物をつくる。
水を運ぶ。
家を建てる。
物をつくる。
運ぶ。
売る。
守る。
治める。
記録する。
教える。
治療する。
異なるBODYが、異なるPracticeを担う。
Division.
しかし、分けるだけでは都市にならない。
Practiceが分かれれば、
それらをもう一度relationさせなければならない。
つくる人と、食べる人。
売る人と、買う人。
運ぶ人と、受け取る人。
治める人と、治められる人。
\[\boxed{ Division \leftrightarrow Coordination }\]都市は、Practiceを分化させながら、
分化したPracticeを再びrelationさせる。
ここに、
Market
が現れる。
市場は、物を売買する場所であるだけではない。
異なるPracticeによって生み出されたものを、
交換可能なrelationへ置く。
貨幣。
価格。
契約。
信用。
それらもまた、分化したPracticeをCoordinationするためのEditingになる。
そしてCoordinationは、市場だけではない。
規則。
法。
行政。
組織。
慣習。
時間。
標準。
異なるBODYが、異なるPracticeをしながら、同じLocalにStayするためには、
relationを調整する仕組みがいる。
都市は、BODYを集めるだけではない。
異なるPracticeを共存可能にするrelationを編集する。
3|Densityとはなにか
都市には、人が多い。
しかし、人口が多ければ都市なのだろうか。
一時的に人が集まる場所もある。
祭り。
競技場。
巡礼地。
軍隊。
大規模な集会。
人の数だけでは、都市を説明できない。
都市で高くなるのは、人口密度だけではない。
\[\boxed{ Density\ of\ Relations }\]異なるBODY。
異なるPractice。
異なる物。
異なる情報。
異なる制度。
それらが近接し、繰り返しEncounterする。
密度が上がれば、Encounterも増える。
同じ相手だけではない。
知らない人。
違う仕事。
違う習慣。
違う価値。
違う言葉。
違う物。
違う情報。
都市とは、
異なるものが近接したまま共存するLocal
でもある。
だから都市には、ZUREがある。
むしろ、ZUREが多い。
そのZUREを消してしまえば、異なるBODYは共存できない。
しかし、
ZUREを放置しても、高密度のStayは持続しない。
ここでも、Coordinationが必要になる。
そして都市は、内と外も編集する。
壁。
門。
道。
区画。
住所。
行政区域。
中心。
周縁。
Boundary.
都市のBoundaryは、単に囲うための線ではない。
誰が入れるか。
何が入るか。
何を出すか。
どこまでを同じLocalとして扱うか。
都市は、relationの密度を上げながら、
同時にLocalそのものをCutする。
\[Local \rightarrow Boundary \rightarrow Local'\]都市とは、密度だけではない。
密度を持続可能にするLocal Editingでもある。
4|Accumulationとはなにか
Stayが持続する。
Practiceが分化する。
relationの密度が上がる。
すると、さまざまなものが蓄積する。
人。
物。
食料。
道具。
建物。
富。
情報。
記録。
知識。
制度。
権力。
そして、Trace.
都市には、過去のPracticeが残る。
道が残る。
建物が残る。
名前が残る。
制度が残る。
市場が残る。
境界が残る。
記録が残る。
昨日のEditingが、今日のPracticeの条件になる。
Accumulationは、単なる量の増加ではない。
蓄積したものが、次のrelationに効く。
\[Practice_n \rightarrow Trace_n \rightarrow Practice_{n+1}\]都市は、毎回ゼロからつくられない。
過去のTraceを使う。
壊す。
直す。
転用する。
上に重ねる。
忘れる。
掘り返す。
都市そのものが、巨大なEditingのTraceになる。
しかし、蓄積するのは、欲しいものだけではない。
人が集まれば、食料が必要になる。
水が必要になる。
エネルギーが必要になる。
そして、食べれば出る。
使えば捨てる。
壊れれば廃棄する。
高密度のStayとは、高密度の摂取であり、同時に、高密度の排泄でもある。
都市は、Accumulationだけでは持続できない。
入れなければならない。
流さなければならない。
出さなければならない。
ここで、都市の別の姿が見えてくる。
Flow.
5|Infrastructureとはなにか
水が来る。
食料が来る。
人が来る。
物が来る。
エネルギーが来る。
情報が来る。
そして、排水が出る。
ゴミが出る。
人が出る。
物が出る。
情報が出る。
都市は、Stayする場所である。
しかし、都市を支えているものは、絶えず動いている。
\[\boxed{ Stay\ requires\ Flow }\]都市とは、動かない場所ではない。
むしろ、
Flowを持続させることでStayを可能にするLocal
なのである。
そのFlowを支えるものがある。
道路。
橋。
港。
駅。
水道。
下水。
電力。
住居。
市場。
倉庫。
通信網。
廃棄物処理。
これらは、都市のmaterial infrastructureである。
しかし、それだけではない。
法。
行政。
貨幣。
契約。
規則。
治安。
標準。
記録。
これらもまた、高密度のBODYとPracticeをCoordinationする。
都市には、
institutional infrastructure
もある。
\[\boxed{ Infrastructure = Material\ Support + Institutional\ Support }\]ただし、両者は別々に存在するわけではない。
道路には規則がある。
市場には建物がある。
水には管理がいる。
住居には制度がある。
物質的Supportと制度的Supportは、互いに絡みながら都市のFlowを支える。
Infrastructureは、都市の背景になる。
水が出る。
電気がつく。
ゴミが回収される。
電車が走る。
通信がつながる。
市場に物が届く。
うまく動いているとき、そのSupportを意識することは少ない。
しかし、止まる。
断水する。
停電する。
交通が止まる。
通信が切れる。
ゴミが回収されない。
Supportは、うまくSupportしているほど、背景化しやすい。
そして、その働きがZUREたとき、背景だったSupportが、前景化することがある。
\[\boxed{ Support:\ Background \;\xrightarrow{ZURE}\; Foreground }\]高密度のStayは、無数のSupportによって可能になっていた。
そして、Infrastructureは完成しない。
BODYが増える。
Practiceが変わる。
Flowが変わる。
新しいInfrastructureが必要になる。
Infrastructureが変われば、またStayの仕方が変わる。
だから、
\[Stay \rightarrow Division \rightarrow Density \rightarrow Accumulation \rightarrow Infrastructure \circlearrowleft Stay\]都市は、完成した構造物ではない。
Stayを可能にするSupportを編集し続けるPractice
として持続する。
Urbanizationとは、建物が増えることではない。
人口が増えることだけでもない。
BRAIN=BODYが高密度にStayできるよう、
LocalのrelationとFlowとSupportを、編集し続けるprocessである。
しかし、ここで縦坑を止めるわけにはいかない。
都市のInfrastructureを掘ってみる。
住居。
水。
食。
保存。
排泄。
防御。
眠る場所。
これらは、都市が発明したものではない。
都市より前から、HomoはLocalに留まり、食べ、眠り、蓄え、捨て、
周囲のEnvironmentを編集していた。
都市がStayを発明したのではない。
都市は、もっと古いStayのPracticeを、高密度に組み替えた。
では、
その古い地層では、Homoは何をしていたのか。
移動する身体は、
どのようにLocalとのrelationを持続するようになったのか。
そして、Localを編集したHomo自身は、
どのように編集されたのか。
さらに掘ろう。
V|定住
── Domestication
留まる種、留まることで編集される種
Homoは、移動する。
そして、留まる。
だが、ここでは、定住の起源を問わない。
定住を前提として、
そこで何が編集されるのかを問う。
身体がLocalとのrelationを持続する。
戻る。
眠る。
育てる。
蓄える。
待つ。
建てる。
直す。
分ける。
次の季節を迎える。
定住とは、身体が動かなくなったことではない。
\[\boxed{ Settlement\neq Immobility }\]移動するBODYが、
あるLocalとのrelationを反復し、そのrelationを持続させる。
そのとき、
Localだけが編集されるのではない。
そこに留まるBODYもまた、編集される。
定住するHomoは、
定住によって編集されるHomo
でもある。
ここから掘ろう。
1|Domesticationとはなにか
定住するHomoは、一人で留まるわけではない。
周囲には、他の生命がいる。
植物。
動物。
微生物。
そして、他のHomo。
Homoは、その一部とのrelationを、反復する。
育てる。
選ぶ。
植える。
守る。
飼う。
増やす。
収穫する。
食べる。
Domestication.
Domesticationは、単に「野生」を「家畜」に変えることではない。
植物を栽培する。
動物を飼育する。
繁殖を選択する。
生育するEnvironmentを編集する。
そこでは確かに、Homoが他の生命を編集している。
しかし、
Editingは一方向ではない。
植物を育てれば、その生育周期にPracticeが組み替えられる。
動物を飼えば、その生命周期にPracticeが組み替えられる。
\[\boxed{ Homo \rightleftarrows Domesticated\ Life }\]Homoが生命を編集すると、
生命とのrelationが、Homoを編集し返す。
\[\boxed{ Editing\ Life = Being\ Edited\ by\ Life }\]Domesticationとは、他の生命を一方的に編集することではない。
生命とのrelationを反復的に編集しながら、
Homo自身も編集され続けるprocessである。
2|Stockとはなにか
育てる。
収穫する。
集める。
しかし、すべてをその場で使うわけではない。
残す。
種を残す。
食料を残す。
飼料を残す。
燃料を残す。
道具を残す。
材料を残す。
Stock.
移動するBODYにとって、持てるものには限界がある。
しかし、Localとのrelationが持続すると、
物を、そのLocalに置いておくことができる。
\[\boxed{ Keep\ it\ here }\]BODYが持ち歩かなくても、次に戻ってきたとき、そこにある。
これは、単なるAccumulationではない。
Stockには、
いま使わない
というPracticeが含まれている。
\[\boxed{ Now \neq Use\ Now }\]食べられる。
でも、食べない。
使える。
でも、使わない。
種を、次の季節まで残す。
食料を、冬まで残す。
材料を、次のPracticeまで残す。
Stockとは、
物をLocalに保存することで、
現在のPracticeを未来へ開いておくEditing
でもある。
しかし、Stockは勝手には残らない。
腐る。
乾く。
濡れる。
食べられる。
盗られる。
壊れる。
なくなる。
だから、Stockするとは、置いて終わることではない。
守る。
数える。
選ぶ。
使う。
補充する。
捨てる。
Stockもまた、更新を必要とするPracticeである。
そして、
Stockが未来に残されると、
現在のBODYは、まだ来ていない時間とのrelationをもつ。
ここで、
Planning
が前景化する。
3|Planningとはなにか
明日、何を食べるか。
冬を、どう越すか。
いつ、種を蒔くか。
いつ、収穫するか。
どれだけ、残すか。
未来は、まだ来ていない。
しかし、
現在のPracticeは、未来とのrelationをもち始める。
\[\boxed{ Present\ Practice \leftrightarrow Future\ Practice }\]これが、Planningである。
ただし、
Planningとは、未来を知ることではない。
未来を設計することでもない。
未来に備えて、
現在のPracticeを編集することである。
種を蒔いても、育つとは限らない。
食料を蓄えても、予定どおり使えるとは限らない。
未来は、Planningどおりにはならない。
だからPlanningは、
未来を閉じるPracticeではない。
未来を開いたまま、
現在を編集するPracticeである。
Stockは、Planningを物質化する。
種。
食料。
燃料。
道具。
それらは、過去のPracticeによって残されたものであり、
まだ来ていないPracticeのために、現在のLocalに置かれている。
\[Past\ Practice \rightarrow Stock_{Now} \rightarrow Future\ Practice\]定住は、BODYを空間に固定しただけではない。
未来とのrelationをLocalに配置した。
しかし、
未来のために残すものが増えれば、それを置く場所が必要になる。
守る場所。
眠る場所。
食べる場所。
育てる場所。
作業する場所。
Localそのものが、Practiceに応じて編集され始める。
Architecture.
4|Architectureとはなにか
建てる。
囲う。
覆う。
区切る。
開ける。
閉じる。
炉を置く。
寝床をつくる。
貯蔵する場所をつくる。
Architectureは、
建物をつくることだけではない。
PracticeをLocalに配置するEditing
として見ることができる。
ここで眠る。
ここで火を使う。
ここに食料を置く。
ここから入る。
ここには動物を入れない。
ここには種を保存する。
Architectureは、LocalにBoundaryをつくる。
Inside。
Outside。
入口。
出口。
上。
下。
近い。
遠い。
しかし、それだけではない。
Architectureによって、昨日のPracticeが、今日も反復可能になる。
炉が残る。
壁が残る。
屋根が残る。
貯蔵場所が残る。
寝床が残る。
\[Practice \rightarrow Architecture \rightarrow Next\ Practice\]だからArchitectureは、単なる空間のEditingではない。
Practice可能性を場所に残すEditing
でもある。
そして、Architectureもまた、Homoによって編集されるだけではない。
Architectureが、Homoを編集する。
入口があれば、そこから入る。
壁があれば、内と外が生まれる。
炉があれば、火を使う場所ができる。
貯蔵場所があれば、Stockの仕方が変わる。
寝床があれば、眠る場所が変わる。
\[\boxed{ BRAIN=BODY \rightleftarrows Architecture }\]空間を編集したHomoは、
編集された空間のなかで、次のPracticeを行う。
ここにも、
Editing / Being Edited
がある。
5|Coordinationとはなにか
しかし、Domesticationも、Stockも、Planningも、Architectureも、
一つのBODYだけで行われるとは限らない。
複数のBODYが、同じLocalとのrelationを持続する。
すると、
Practice同士をrelationさせる必要がある。
誰が育てるか。
誰が採るか。
誰が守るか。
誰が蓄えるか。
誰が使うか。
誰が建てるか。
誰が直すか。
いつするか。
どこでするか。
どれだけ残すか。
どう分けるか。
Coordination.
ここで重要なのは、BODYの数だけではない。
Group Scale
である。
BODYが増える。
世代をまたぐ。
異なるPracticeが並行する。
Stockが共有される。
Architectureが共有される。
Planningが共有される。
すると、
relationそのものを編集するPracticeが必要になる。
\[\boxed{ Coordination = Editing\ relations\ among\ Practices }\]役割。
順番。
分配。
共有。
慣習。
禁忌。
儀礼。
ルール。
Coordinationは、後から社会に付け加えられたものではない。
複数のBODYが、
同じLocalで異なるPracticeを持続するとき、
そのrelationのなかで繰り返し生成される。
ここを掘ると、都市篇で出会ったものが、もう一度見えてくる。
Division。
Coordination。
Institution。
Infrastructure。
都市が、これらをゼロから発明したわけではない。
より小さなGroup Scaleで行われていたPracticeが、
別のDensity、別のAccumulation、別のScaleで、
再び編集される。
都市とは、
その一つのconfigurationだった。
しかし、さらに掘ろう。
Domesticationする。
Stockする。
Planningする。
Architectureを組む。
Coordinationする。
これらのPracticeには、さまざまな目的がある。
だが、
BODYが生きるために、避けられないものがある。
食べる。
植物を育てる。
動物を飼う。
食料を残す。
収穫を待つ。
貯蔵場所をつくる。
分配する。
それでも、まだBODYには入っていない。
Homoは、食べるものを、そのまま摂取するだけではなかった。
切る。
砕く。
混ぜる。
浸す。
乾かす。
発酵させる。
そして、加熱する。
食べる前に、
もう一度編集する。
V½|Matter Encounter
── たべる生命、つかう生命
生命は、生命だけにEncounterするのではない。
物質にもEncounterする。
水。
土。
石。
枝。
骨。
生命は、物質のなかで生きている。
しかし、すべての物質を同じようにPracticeするわけではない。
食べる。
使う。
ここで、生命と物質のrelationを、いったん掘ってみよう。
1|Matter
物質は、最初からFoodなのではない。
最初からToolなのでもない。
石に、
「道具」
と書いてあるわけではない。
木の実に、
「食物」
と書いてあるわけでもない。
あるのは、Matterである。
そして、
\[\boxed{ Life \rightleftarrows Matter }\]生命と物質が、Encounterする。
そのEncounterのなかで、relationが露出する。
食べられる。
食べられない。
硬い。
柔らかい。
重い。
軽い。
尖っている。
砕ける。
燃える。
溶ける。
物質は、生命のために存在しているのではない。
生命のほうが、物質とのrelationをPracticeする。
2|たべる
生命は、物質を摂取する。
外にあったものを、BODYの内側へ入れる。
\[Matter \rightarrow Ingestion \rightarrow BODY\]しかし、入れれば終わりではない。
噛む。
砕く。
溶かす。
分解する。
吸収する。
排泄する。
生命は、摂取した物質をEditする。
そして、
摂取した物質によって、生命自身もEditされる。
\[\boxed{ Matter \rightarrow BODY \rightleftarrows Editing }\]たべるとは、
物質を生命へ変えることではない。
物質とのrelationを、
BODYの内部まで持ち込むPracticeである。
3|つかう
しかし生命は、Encounterした物質を、すべて食べるわけではない。
石。
食えない。
だが、使える。
硬い。
重い。
叩ける。
割れる。
投げられる。
生命はここで、物質をBODYへ摂取せず、
BODYの外に残したままPracticeする。
\[\boxed{ BODY \rightleftarrows Matter }\]食べない。
しかし、relationを持つ。
持つ。
押す。
引く。
叩く。
運ぶ。
投げる。
支える。
生命は、物質を摂取しなくても、物質とともにPracticeできる。
これが、
つかう
というrelationである。
4|Ingestion / Use
だから、物質を二種類に分ける必要はない。
食える物質。
食えない物質。
そんな分類が、Matterそのものに刻まれているわけではない。
同じものでも、relationは変わる。
骨。
肉がついていれば、食べるかもしれない。
食べ終われば、残るかもしれない。
残った骨を、使うかもしれない。
削るかもしれない。
尖らせるかもしれない。
\[\boxed{ Matter \not\equiv Food / Tool }\]FoodとToolは、Matterの属性ではない。
生命と物質のEncounterにおいて、露出するrelationである。
\[\boxed{ Life \xrightarrow{Encounter} Matter \begin{cases} Ingestion\\ Use \end{cases} }\]しかも、この二つは分離しない。
生命は、
食べるために、使う。
石を使う。
枝を使う。
容器を使う。
そして、やがて、
火を使う。
\[Use \rightarrow Ingestion\]つかう生命は、たべる生命のPracticeへ入り込む。
5|Edit
さらに、生命は物質を、そのまま食べるだけではない。
そのまま使うだけでもない。
Editする。
摂取に向けて、物質をEditする。
切る。
砕く。
潰す。
混ぜる。
浸す。
乾かす。
発酵させる。
加熱する。
\[\boxed{ Matter \xrightarrow[\text{for Ingestion}]{Edit} Food }\]食べるために、物質とのrelationをEditする。
一方、Useに向けても、物質をEditする。
割る。
削る。
尖らせる。
曲げる。
結ぶ。
組み合わせる。
\[\boxed{ Matter \xrightarrow[\text{for Use}]{Edit} Tool }\]使うために、物質とのrelationをEditする。
ここで、同じMatter Encounterから、二つの坑道が伸びていく。
\[\boxed{ \begin{array}{ccccc} && Matter &&\\ && \updownarrow &&\\ && Life &&\\[2mm] & \swarrow && \searrow &\\ Ingestion &&&& Use\\ \downarrow &&&& \downarrow\\ Food &&&& Tool \end{array} }\]ただし、これは二本のレールではない。
生命は、
食べるために使い、使うために加工し、
加工したものを使って、さらに食べるものを加工する。
relationは、何度も交差する。
6|たべる生命、つかう生命
定住を掘ってきた。
そこで前景化したのは、生命と生命とのrelationだった。
育てる。
飼う。
ともに暮らす。
分ける。
協働する。
Coordinationする。
\[Life \rightleftarrows Life\]しかし、その足元には、もっと古いEncounterがある。
\[\boxed{ Life \rightleftarrows Matter }\]生命は、物質を食べる。
物質を使う。
そして、物質をEditする。
だが、
Editされたのは、物質だけではない。
食べれば、BODYが変わる。
使えば、BODYの動きが変わる。
何を食べられるかが変わる。
何に届くかが変わる。
何を切れるかが変わる。
何を運べるかが変わる。
何とEncounterできるかが変わる。
\[\boxed{ Life\ edits\ Matter \rightleftarrows Matter\ edits\ Life }\]生命と物質は、同じものにはならない。
それでも、Encounterする。
そして、
relationのなかで、互いの次のPracticeを変える。
では、まず、たべる生命 から掘ろう。
生命は、食べられるものを選んだ。
食べた。
また食べた。
なぞった。
伝えた。
そして、食べる前に、物質をEditしはじめた。
そのEditingは、やがて、BODYそのものを 大きくEditすることになる。
さらに掘ろう。
\[\boxed{ Matter \xrightarrow[\text{for Ingestion}]{Edit} Food } \qquad \boxed{ Matter \xrightarrow[\text{for Use}]{Edit} Tool }\]
VI|料理
── Feeding Curation
美味しいをなぞる身体
Homoは、食べる。
だが、
食べられるものを、すべて食べるわけではない。
選ぶ。
食べる。
美味しい。
また食べる。
なぞる。
伝える。
そして、また選ぶ。
\[\boxed{ 選ぶ \rightarrow 美味しい \rightarrow なぞる \rightarrow 伝える \rightarrow 選ぶ \rightarrow 美味しい \rightarrow なぞる \rightarrow 伝える \rightarrow\cdots }\]料理とは、食物を加工する技術だけではない。
何を食べるか。
どう食べるか。
もう一度どうつくるか。
それをどう伝えるか。
食べることそのものを反復的に編集するPractice
として見ることができる。
そして、この反復を横切っているものがある。
\[\boxed{ HOW = 工夫する }\]どう選ぶ。
どう美味しくする。
どうなぞる。
どう伝える。
料理とは、
HOWが、食べるPracticeを這い続けることである。
その先で、
Homo自身もまた、編集される。
1|選ぶ
食べられる。
だから、食べる。
とは限らない。
環境には、
食べられるかもしれないものが、無数にある。
そのなかから、採る。
避ける。
捨てる。
残す。
選ぶ。
\[\boxed{ Edible \neq Eaten }\]食べることは、
選ぶことから始まる。
何を食べるか。
どこを食べるか。
いつ食べるか。
どれだけ食べるか。
同じ植物でも、
実を食べる。
葉を食べる。
根を食べる。
種を食べる。
食べない。
同じ動物でも、食べる部位が違う。
食べる時期が違う。
食べ方が違う。
食べるというPracticeは、
EnvironmentからFoodをそのまま取り出すことではない。
\[Environment \rightarrow Selection \rightarrow Food\]Foodは、選ばれる。
ここですでに、
FeedingはCurationになっている。
しかし、Selectionは一度では終わらない。
食べてみる。
すると、BODYが応答する。
食える。
食えない。
好き。
嫌い。
そして、
もっと曖昧で、もっと強いものがある。
美味しい。
2|美味しい
美味しい。
これは、栄養素の名前ではない。
カロリーの名前でもない。
食物の属性だけでもない。
同じものでも、
美味しいことがある。
美味しくないことがある。
BODYの状態でも変わる。
食べ方でも変わる。
誰と食べるかでも変わる。
そして、
一度食べた経験によっても変わる。
美味しいは、
FoodとBODYとのEncounterにおいて露出する。
\[\boxed{ Food \rightleftarrows BODY }\]美味しかった。
すると、
もう一度食べたくなる。
ここが重要である。
美味しいは、食べた瞬間だけで消えない。
次のSelectionに効く。
\[Selection_n \rightarrow 美味しい \rightarrow Selection_{n+1}\]美味しかったものを、また選ぶ。
美味しくなかったものを、避けることもある。
少し変えて、もう一度試すこともある。
だから、
美味しいは、
次のPracticeにTraceを残す。
Homoは、Brainを大きくしようとして、美味しいものを探したのではない。
そんな未来を、知っていたわけではない。
ただ、
こっちがいい。
もう一度食べたい。
もっと食べやすくしたい。
もっと美味しくできないか。
そのPreferenceが、次のPracticeを動かす。
そして、
もう一度やってみる。
3|なぞる
美味しかった。
では、
もう一度。
昨日と同じものを採る。
同じ場所へ行く。
同じ部位を選ぶ。
同じように切る。
同じように砕く。
同じように混ぜる。
同じように待つ。
なぞる。
しかし、同じにはならない。
食材が違う。
季節が違う。
気温が違う。
道具が違う。
BODYが違う。
\[\boxed{ Again \neq Same\ Again }\]なぞれば、ZUREる。
だから、
調整する。
もう少し細かくする。
もう少し長く待つ。
別のものを混ぜる。
違う場所に置く。
昨日のPracticeをなぞりながら、
今日のEncounterに合わせる。
ここを、
HOWが這う。
\[\boxed{ NAZORU + HOW }\]どうやった?
どうすれば、もう一度できる?
どうすれば、もっと美味しくなる?
なぞるPracticeは、
そのまま、
工夫するPracticeへ開いている。
4|伝える
しかし、料理は、一つのBODYのなかだけでは続かない。
美味しかった。
誰かにも食べさせる。
どうやった?
こうやった。
見せる。
真似る。
教える。
一緒につくる。
食べる。
レシピが書かれるより前から、料理は伝えられてきた。
手を見る。
匂いを嗅ぐ。
音を聞く。
触る。
待つ。
食べる。
もう一度やる。
\[Practice_A \rightarrow Practice_B\]しかし、
AのPracticeが、そのままBへ移るわけではない。
Bは、
受け取ったものから、また選ぶ。
なぞる。
ZUREる。
工夫する。
\[\boxed{ 伝える \rightarrow 選ぶ }\]ここで、円は閉じない。
選ぶ。
美味しい。
なぞる。
伝える。
また選ぶ。
また美味しい。
またなぞる。
また伝える。
\[\boxed{ 選ぶ \rightarrow 美味しい \rightarrow なぞる \rightarrow 伝える \rightarrow \cdots }\]料理は、保存された同一性ではない。
伝えられながらZURE続けるPracticeである。
そして、
その全体を、
HOWが這っている。
5|HOW──工夫する
どう選ぶ。
どう食べる。
どう切る。
どう砕く。
どう混ぜる。
どう保存する。
どう待つ。
どうなぞる。
どう伝える。
HOWは、
一つの工程ではない。
選ぶにも、HOWがある。
美味しいにも、HOWがある。
なぞるにも、HOWがある。
伝えるにも、HOWがある。
\[\boxed{ HOW \;\text{crawls across Feeding Curation} }\]工夫するとは、完成した方法を発明することではない。
Encounterする。
やってみる。
食べる。
なぞる。
ZUREる。
変える。
また食べる。
その反復のなかで、Foodのconfigurationが変わっていく。
切る。
砕く。
潰す。
混ぜる。
浸す。
乾かす。
発酵させる。
そして、加熱する。
Foodが変わる。
食べやすさが変わる。
咀嚼が変わる。
消化が変わる。
利用できるEnergyが変わる。
食べることに必要な時間とコストも変わる。
料理は、Foodを編集した。
しかし、
編集されたのは、Foodだけではなかった。
Main Dish|BRAIN
料理によって、
Homoは、自分の外側にあるFoodを編集した。
ところが、そのFoodを食べるBODYも、同じままではなかった。
\[\boxed{ Food\ Editing \rightleftarrows BODY\ Editing }\]より食べやすいFood。
より利用可能なEnergy。
変化する咀嚼。
変化する消化。
変化する摂取Practice。
その長い相互Editingのなかで、
高いEnergy costを必要とする器官を支えうるconfigurationが形成されていく。
Brain.
Homoは、Brainを巨大化させるために、料理したのではない。
選んだ。
美味しかった。
なぞった。
伝えた。
工夫した。
また選んだ。
また美味しかった。
またなぞった。
また伝えた。
また工夫した。
その反復のなかで、Foodが編集された。
BODYが編集された。
Homo自身が、編集され続けた。
\[\boxed{ BRAIN \rightleftarrows Feeding\ Curation }\]Brainが、Feeding Curationを編集する。
Feeding Curationが、Brainを編集する。
それは、誰かがPlanningした未来ではなかった。
美味しい。もう一度。
どうやった?
こうやった。
もっと、こうしてみよう。
そのPracticeが、繰り返された。
そして、脳は巨大化した。
では、Homoは、食べることをどう工夫したのか。
切る。
砕く。
潰す。
混ぜる。
浸す。
乾かす。
発酵させる。
そして──
火を使った。
さらに掘ろう。
VII|火
── Firing Choreography
EditorをEditする
火は、Homoがつくったものではない。
Homoが現れるより前から、
燃えていた。
落雷。
噴火。
山火事。
火は、勝手に燃える。
勝手に広がる。
勝手に消える。
そして、勝手に世界を変える。
焼く。
乾かす。
焦がす。
炭にする。
硬くする。
柔らかくする。
匂いを変える。
形を変える。
\[\boxed{ Fire \rightarrow Transformation }\]Homoは、加工を発明したのではない。
火による加工も、
発明したのではない。
すでに世界を加工していた火に、Encounterした。
ここから始めよう。
1|Encounter
燃えている。
熱い。
明るい。
近づけば、暖かい。
近づきすぎれば、焼ける。
逃げる。
離れる。
また近づく。
火のあとには、Traceが残る。
焼けた木。
焦げた植物。
焼けた動物。
灰。
炭。
匂い。
熱。
変わったLandscape。
火は、通り過ぎただけではない。
世界を編集している。
\[World_n \xrightarrow{Fire} World_{n+1}\]その編集されたWorldに、
HomoがEncounterする。
食べる。
いつもと違う。
柔らかい。
匂いが違う。
食べやすい。
美味しい。
あるいは、
まずい。
食えない。
危ない。
逃げる。
Encounterは、一つの結果を生まない。
しかし、
EncounterしたBODYには、Traceが残る。
そして、
あるEncounterは、次のEncounterを呼ぶ。
もう一度。
2|Again
もう一度、
あれを食べたい。
もう一度、暖まりたい。
もう一度、明るくしたい。
もう一度、
火のそばにいたい。
\[\boxed{ Encounter \rightarrow Trace \rightarrow Again }\]しかし、
同じ山火事は、もう来ない。
同じ木は、もう燃えない。
同じ食べ物も、同じBODYも、もうない。
\[\boxed{ Again \neq Same\ Again }\]Againとは、同じものを再現することではない。
Traceを帯びたBODYが、
もう一度、Fireとのrelationに入ることである。
そして、Againすると、違いが見える。
こっちの火は、暖かい。
こっちは、熱すぎる。
これは、美味しい。
これは、焦げすぎた。
この距離がいい。
このくらいがいい。
Againは、
Preferenceを露出する。
3|Preference
どの火でもいいわけではない。
強すぎれば、逃げる。
弱すぎれば、役に立たない。
近すぎれば、焼ける。
遠すぎれば、暖かくない。
焼きすぎれば、焦げる。
足りなければ、生のまま。
\[\boxed{ Again \rightleftarrows Preference }\]Againするから、違いが露出する。
違いが露出するなかで、Preferenceもまた露出する。
Preferenceが変われば、次のAgainも変わる。
\[\boxed{ Again \rightleftarrows Preference }\]Againが、Preferenceを編集する。
Preferenceが、Againを編集する。
そして、また違いが露出する。
\[Again \rightarrow Preference \rightarrow Again \rightarrow Preference \rightarrow\cdots\]ここに、始発駅はない。
どちらか一方が、もう一方を一度だけ生み出すわけではない。
EncounterのTraceを帯びながら、
AgainとPreferenceが、互いを編集し続ける。
もう少し、近く。
もう少し、遠く。
もう少し、強く。
もう少し、弱く。
もう少し、長く。
もう少し、短く。
ここを、HOWが這う。
料理篇を這っていたHOWが、今度は、Fireとのrelationを這い始める。
\[\boxed{ HOW = Firing\ Choreography }\]Homoは、火そのものにはなれない。
火を、完全には支配できない。
だから、距離を変える。
時間を変える。
燃料を変える。
置き方を変える。
火とのrelationを、調整する。
しかし、野生の火は、待ってくれない。
消える。
移る。
広がる。
またEncounterできるとは、限らない。
ならば、
火を残せないか。
4|Domestication of Fire
火を、飼う。
燃料を与える。
風から守る。
雨から守る。
弱らせる。
強くする。
移す。
分ける。
熾火にする。
起こす。
消す。
火は、生命ではない。
それでも、Fireとのrelationを持続させるPracticeは、
奇妙なほどDomesticationに似ている。
餌をやらなければ、消える。
放っておけば、暴れることもある。
弱すぎても、強すぎても、
使えない。
\[\boxed{ Wild\ Encounter \rightarrow Persistent\ Relation }\]Homoは、火を発明したのではない。
火とのrelationを持続させた。
偶発的なEncounterを、
Again可能なrelationへと編集した。
しかし、火を飼い慣らしたからといって、火が従順になったわけではない。
火は、ZUREる。
消える。
燃えすぎる。
燃え移る。
風に煽られる。
燃料によって変わる。
だから、
Domesticationは、完成しない。
火とのrelationは、そのつど調整されなければならない。
\[\boxed{ Domestication \neq Control }\]火を飼うとは、火を固定することではない。
ZUREる火とのrelationを持続するPractice
である。
Firing Choreographyは、
続く。
5|Edit of Fire
そして、Homoは、火を残すだけではなくなる。
火の働き方を、変える。
強くする。
弱くする。
集める。
広げる。
移す。
囲う。
熱を使う。
光を使う。
煙を使う。
ここで、DomesticationとEditは、少し違う。
Domesticationは、
Fireとのrelationを持続させる。
Editは、
Fireがどう世界を変えるかを変える。
\[\boxed{ Domestication = Editing\ the\ relation\ with\ Fire }\] \[\boxed{ Edit\ of\ Fire = Editing\ how\ Fire\ transforms }\]火は、もともと世界を加工していた。
\[Fire \rightarrow Edit(World)\]Homoは、そのFireとのrelationを持続させ、さらに、
Fireの働き方を編集する。
\[\boxed{ Homo \rightarrow Edit(Fire) \rightarrow Fire \rightarrow Edit(World) }\]これは、少し奇妙なEditingである。
Homoが、Worldを直接加工するのではない。
Worldを加工するものを加工する。
火は、Editorだった。
Homoより先に。
Homoは、そのEditorにEncounterした。
Againした。
Preferenceが生まれた。
Preferenceが、またAgainを呼んだ。
火とのrelationを持続させた。
そして、その働き方まで変え始めた。
Homoは、加工を発明しなかった。
加工する火を、飼い慣らした。
そして、
EditorをEditした。
しかし、火とのrelationを編集するにも、Homoは、BODYだけを使っていたわけではない。
石。
棒。
刃。
容器。
ここで、さらに古いEditingの地層が露出する。
火にEncounterするより前から、Homoは、
自分ではないものを使って、Worldとのrelationを変えていた。
\[\boxed{ BODY \rightarrow Tool \rightarrow World }\]火から道具が生まれたのではない。
火を掘っていたら、その下から、すでに使われていた道具が出てきた。
さらに掘ろう。
VIII|道具
── Tooling Fabrication
食えない物質を、つかう身体
生命は、物質にEncounterする。
食べる。
使う。
前章で見たように、Matterは最初からFoodなのではない。
最初からToolなのでもない。
FoodもToolも、Matterに書き込まれた属性ではない。
生命とのEncounterのなかで、relationとして露出する。
\[\boxed{ Life \rightleftarrows Matter }\]では、Matterは、どのようにToolになるのか。
さらに掘ろう。
1|Encounter
石がある。
枝がある。
骨がある。
Homoが現れるより前から、そこにあった。
石は、道具としてHomoを待っていたわけではない。
枝も、棒になるために伸びていたわけではない。
骨も、針になるために残ったのではない。
ただ、
Matterがある。
そこへ、
生命のBODYがEncounterする。
\[\boxed{ BODY \rightleftarrows Matter }\]触れる。
持つ。
押す。
引く。
踏む。
投げる。
MatterとのEncounterによって、BODYには差異が露出する。
硬い。
柔らかい。
重い。
軽い。
尖っている。
丸い。
長い。
短い。
しなる。
割れる。
しかし、
まだToolではない。
2|Material
石は石である。
しかし、BODYが石にEncounterすると、
石の硬さが、ただの硬さではなくなる。
叩ける。
割れる。
砕ける。
重しになる。
投げられる。
Matterの差異が、
Practice可能性として露出する。
ここで、
Matterは、MaterialとしてPracticeされはじめる。
\[\boxed{ Matter \xrightarrow{Encounter/Practice} Material }\]ただし、
石そのものが、別の物質になったわけではない。
変わったのは、relationである。
Materialとは、Matterの種類ではない。
生命とのEncounterのなかで、
使いうるものとして露出したMatter
である。
素材。
資材。
まだ何になるかは、決まっていない。
だから、
MaterialはまだToolではない。
\[\boxed{ Material \; ? \; Tool }\]この ? を、急いで埋めないでおこう。
3|Use
生命は、EncounterしたMatterをすべて摂取するわけではない。
石。
食えない。
しかし、使える。
ここで、
生命と物質のrelationに、ひとつのPracticeが露出する。
\[\boxed{ Use }\]Matterを、BODYの内部へ入れない。
Matterを、BODYの外に残したまま使う。
\[\boxed{ BODY \rightleftarrows Matter \rightleftarrows World }\]石で叩く。
枝で届く。
骨で刺す。
Matterが、BODYとWorldのあいだのrelationに参加する。
ここで、
「道具は身体の延長である」
と急いで言う必要はない。
その前に、もっと素朴なことが起きている。
生命は、
摂取しないMatterを、Practiceに参加させた。
食わない。
でも、使う。
\[\boxed{ Ingestion \;|\; Use }\]このCutの向こう側に、Toolが見えはじめる。
4|Again
使った。
それで終わるとは限らない。
また使う。
\[\boxed{ Use \rightarrow Again }\]同じ石かもしれない。
別の石かもしれない。
似た枝かもしれない。
しかし、
AgainはSame Againではない。
Matterが違う。
場所が違う。
対象が違う。
BODYも違う。
それでも、前のEncounterのTraceを帯びたBODYは、
Matterにre-Encounterする。
持つ。
また持つ。
叩く。
また叩く。
投げる。
また投げる。
ここで、
BODYはなぞる。
\[\boxed{ BODY \xrightarrow{NAZORU} Use }\]石の重さをなぞる。
枝のしなりをなぞる。
骨の硬さをなぞる。
そして、自分の動きもなぞる。
握り方。
振り方。
力加減。
角度。
距離。
タイミング。
Matterをなぞりながら、BODYもまた変わる。
\[BODY_n \neq BODY_{n+1}\]Useするたびに、
Matterとのrelationが、BODYにTraceを残す。
そして、
そのTraceを帯びたBODYが、またMatterを使う。
\[\boxed{ Use \rightleftarrows Again }\]AgainがUseを変える。
Useが次のAgainを変える。
その循環を、BODYがなぞる。
5|Edit
また使う。
しかし、ZUREる。
重すぎる。
軽すぎる。
丸すぎる。
折れる。
届かない。
切れない。
握りにくい。
Matterは、BODYの思いどおりにはならない。
そこで、BODYはMatterとのrelationを、さらに変える。
割る。
削る。
尖らせる。
曲げる。
結ぶ。
組み合わせる。
\[\boxed{ Matter \xrightarrow[\text{for Use}]{Edit} Tool }\]ここで起きているのは、単なるUseではない。
使っていたものを、使うためにEditする。
石で叩く。
から、
叩くための石をEditする。
枝を使う。
から、
使うために枝をEditする。
\[Use \rightarrow Edit \rightarrow Use \rightarrow Edit \rightarrow \cdots\]Tooling Fabrication。
しかし、Fabricationは、
最初から完成したToolを思い描いて始まったとは限らない。
Encounterした。
使った。
また使った。
なぞった。
ZUREた。
Editした。
そのPracticeのなかで、MatterがToolとして働きはじめる。
\[\boxed{ Encounter \rightarrow Material \rightarrow Use \rightleftarrows Again \rightarrow Edit }\]Toolは、このprocessの始発駅ではない。
その途中で露出する。
6|BODY / NAZORU
ここまで、
Encounter。
Material。
Use。
Again。
Edit。
と並べてきた。
しかし、BODYはその一項ではない。
BODYは、このprocess全体を這っている。
\[\boxed{ BODY / NAZORU }\]触れるBODY。
持つBODY。
使うBODY。
AgainするBODY。
ZUREを受けるBODY。
EditするBODY。
そして、
Toolを使うBODY。
道具は、頭だけでは使えない。
石の重さは、BODYが受ける。
枝のしなりは、BODYが受ける。
刃の抵抗は、BODYが受ける。
\[\boxed{ BRAIN=BODY }\]Homoは、Matterをなぞりながら、使い方をなぞる。
使い方をなぞりながら、MatterをEditする。
そして、MatterをEditしながら、
自分自身のBODYもEditされていく。
7|Tool edits Homo
Homoは、MatterをEditした。
Toolをつくった。
しかし、
Editされたのは、Matterだけではない。
Toolを持てば、BODYの動きが変わる。
届く距離が変わる。
加えられる力が変わる。
切れるものが変わる。
運べるものが変わる。
そして、
Encounterそのものが変わる。
\[\boxed{ Tool \rightarrow Edit(Encounter) }\]石を持つ前には、ただそこにあったものが、
石を持ったBODYには、割れるものとして露出する。
刃を持ったBODYには、切れるものが露出する。
棒を持ったBODYには、届くものが増える。
Toolは、Worldそのものをつくったわけではない。
しかし、
BODYがWorldとEncounterするconfigurationを変えた。
\[\boxed{ BODY \rightleftarrows Tool \rightleftarrows World }\]だから、
HomoがToolをEditした、
だけではない。
\[\boxed{ Homo\ edits\ Tool \rightleftarrows Tool\ edits\ Homo }\]Tooling Fabricationは、ToolだけをFabricateしなかった。
HomoもFabricateした。
Homoは、食えないMatterにEncounterした。
食わなかった。
使った。
また使った。
なぞった。
ZUREた。
Editした。
Matterは、Toolとして働きはじめた。
そして、
Toolを使ってWorldにre-Encounterしたとき、Worldが違って見えた。
BODYの動きが変わった。
次のPracticeが変わった。
Homoは、道具をつくる種だった。
同時に、
道具によってつくられ続ける種だった。
\[\boxed{ Editing \rightleftarrows Being\ Edited }\]Homo editus.
\[\boxed{ \begin{array}{ccccc} && Matter &&\\ && \updownarrow &&\\ && Life &&\\[2mm] & \swarrow && \searrow\\ Ingestion &&&& Use\\ たべる &&&& つかう \end{array} }\] \[\boxed{ Matter \xrightarrow[\text{for Ingestion}]{Edit} Food } \qquad \boxed{ Matter \xrightarrow[\text{for Use}]{Edit} Tool }\]
さて。
ここまで、かなり古い地層まで掘ってきた。
石。
枝。
骨。
Tool。
しかし、いま、
Homoは、AIにEncounterしている。
Toolなのか。
Editorなのか。
Co-Editorなのか。
それとも、このCutそのものが、すでに古いのか。
\[\boxed{ Homo \; ? \; AI }\]そろそろ、古いToolの地層から、イマココへ戻ろう。
VIII½|排泄する生命
── TUPするEditing Life
生命は、Encounterする。
取り込む。
Editする。
そして、
出す。
\[\boxed{ Encounter \rightarrow Ingestion \rightarrow Editing \rightarrow Excretion }\]生命を考えるとき、われわれは前半を語りたがる。
何に出会ったか。
何を食べたか。
何を学んだか。
何をつくったか。
何を編集したか。
しかし、
生命は、取り込むだけでは生きられない。
Editするだけでも、生きられない。
出さなければならない。
排泄する。
ここまで来て、ようやくTUPの全身が見えてくる。
\[\boxed{ Encounter \rightarrow Ingestion \rightarrow Editing \rightarrow Excretion \rightarrow Trace \rightarrow re\text{-}Encounter }\]ただし、これは六段階の工程表ではない。
順番は重なる。
飛ぶ。
戻る。
ZUREる。
Ingestion以前にEditingすることもある。
IngestionせずにUseすることもある。
Excretionされたものが、すぐにre-Encounterされるとも限らない。
これは、生命を六つに分解する図ではない。
TUPする生命を観察するための六つのCutである。
1|Encounter|外から来る
生命は、閉じていない。
WorldとEncounterする。
光。
熱。
水。
空気。
物質。
生命。
音。
匂い。
差異。
\[\boxed{ Life \rightleftarrows World }\]しかし、Encounterしたものが、すべて生命の内部へ入るわけではない。
触れるだけのものがある。
通り過ぎるものがある。
使うものがある。
避けるものがある。
摂取するものがある。
Encounterは、Ingestionではない。
\[\boxed{ Encounter \neq Ingestion }\]まず、
出会う。
そのEncounterによって、差異が露出する。
そして、
その差異の一部が、次のPracticeへ効く。
生命は、Encounterするたびに、まったく同じ生命ではなくなる。
次に何とEncounterするか。
何を避けるか。
何を選ぶか。
何を取り込むか。
Encounterそのものが、次のEncounterをEditしていく。
2|Ingestion|内へ取り込む
生命は、EncounterしたWorldの一部を、内部へ取り込む。
\[\boxed{ World \rightarrow Ingestion \rightarrow Life }\]しかし、全部は取り込めない。
だから、IngestionにはSelectionがある。
食べる。
飲む。
吸う。
取り込む。
受け取る。
ただし、ここで何でもIngestionと呼ぶのはやめておこう。
食物を摂取すること。
酸素を取り込むこと。
光を受けること。
情報を受け取ること。
これらが、同じIngestionなのかは、まだ分からない。
\[\boxed{ Ingestion \; ? \; Reception \; ? \; Use }\]それでも生命には、
WorldとのEncounterから、何かを選択的に内部へ持ち込むPracticeがある。
そして、
取り込まれたものは、そのまま保存されるわけではない。
次のPracticeが始まる。
3|Editing|relationを変える
生命は、取り込んだものを、そのままにはしておかない。
砕く。
分解する。
組み替える。
結びつける。
残す。
捨てる。
使う。
そして、取り込んだものとのrelationを変える。
\[\boxed{ Editing }\]だが、
Editingは、ここだけで起きているのではない。
何とEncounterするかも、Editされる。
何をIngestするかも、Editされる。
Ingestionの仕方も、Editされる。
Editingの仕方そのものも、Editされる。
そして、
何をExcreteするかも、Editされる。
\[\boxed{ Editing\ crawls\ through\ TUP }\]だから、
Editingは第三工程ではない。
TUPの中軸である。
\[Encounter \rightarrow Ingestion \rightarrow \boxed{Editing} \rightarrow Excretion\]という一本の線の真ん中に、静止しているわけではない。
Editingは、Encounterを這う。
Ingestionを這う。
Excretionを這う。
Traceを這う。
re-Encounterを這う。
生命は、Editingする。
そして、Editingされる。
\[\boxed{ Editing \rightleftarrows Being\ Edited }\]Editing Life。
しかし、
ここで終わらない。
Editしたものを、生命はどうするのか。
4|Excretion|外へ返す
出す。
生命は、出す。
食べたものを、すべてBODYにはしない。
取り込んだものを、すべて保存しない。
使ったものを、すべて保持しない。
Editしたものを、すべて内部に抱え込まない。
\[\boxed{ Excretion }\]排泄する。
糞。
尿。
呼気。
汗。
熱。
剥がれ落ちるもの。
死んだ細胞。
生命は、内部に取り込んだものをEditし、
その一部を、再び外部へ返す。
\[Ingestion \rightarrow Editing \rightarrow Excretion\]しかし、
ExcretionをWasteと同一視すると、大事なものを見失う。
\[\boxed{ Excretion \neq Waste }\]生命にとって不要になったものが、Worldにとって不要だとは限らない。
別の生命が食べるかもしれない。
分解されるかもしれない。
土へ戻るかもしれない。
別のrelationに入るかもしれない。
そしてHomoは、生物学的な排泄だけではなく、外へ出すPracticeそのものをEditしてきた。
捨てる。
残す。
埋める。
燃やす。
置く。
保存する。
書く。
描く。
つくる。
公開する。
もちろん、文章を書くことと、糞をすることは同じではない。
しかし、
TUPの機能的なCutから見るなら、そこにはひとつの共通した方向がある。
\[\boxed{ Inside \rightarrow Outside }\]内部でrelationしたものを、再び外部relationへ放つ。
だから、Excretionは、TUPの終端ではない。
Excretionは、relationを再びWorldへ開く。
\[\boxed{ Excretion \rightarrow Reopening\ to\ the\ World }\]生命は、出すことで、
自分の内部だけでは閉じない。
そして、出されたものは、生命の手を離れる。
5|Trace|外に残る
出したものは、必ず消えるわけではない。
外部に、残ることがある。
\[\boxed{ Excretion \rightarrow Persistence \; ? \; Trace }\]糞が残る。
骨が残る。
灰が残る。
石片が残る。
道具が残る。
建築が残る。
道が残る。
文字が残る。
記録が残る。
しかし、残ったものが、そのままTraceなのではない。
その差異がEncounterをまたぎ、次のrelationに効くとき、
Traceとして露出する。
もちろん、これらはすべて同じ種類のTraceではない。
そして、すべてをExcretionと呼ぶ必要もない。
重要なのは、
Practiceが終わっても、差異が残りうる
ということだ。
その差異が、次のrelationへ効く可能性を保つ。
それが、Traceである。
\[\boxed{ Trace = Difference\ that\ persists\ across\ Encounter }\]しかし、
Traceはひとつずつ、次のEncounterへ直行するわけではない。
残る。
溜まる。
重なる。
忘れられる。
埋もれる。
待つ。
\[\boxed{ Trace \xrightarrow{Persistence/Latency} Trace\ Stock }\]ここに、
Trace Stock
ができる。
定住篇で見たStockは、未来へ残すPracticeだった。
Trace Stockは、それとは少し違う。
残されたTraceが、次の用途を指定されないまま、Persistenceする。
\[\boxed{ Trace\ Stock \neq Planned\ Stock }\]Stockされている。
しかし、Planされてはいない。
ただし、
Stockとは倉庫ではない。
未来に使うものだけを、計画的に保存した在庫でもない。
誰にも使われないTraceもある。
何のために残ったのか、分からないTraceもある。
未来の用途を指定されていないTraceもある。
\[\boxed{ Trace\ Stock \neq Reserved\ Resource }\]Trace Stockとは、
まだ次のrelationを使い切っていないTraceの堆積
と考えられる。
水底に沈んでいるかもしれない。
地層になっているかもしれない。
背景化しているかもしれない。
誰にも読まれていないかもしれない。
しかし、不在なのではない。
Latencyにある。
\[\boxed{ Trace \rightarrow Latency \rightarrow Trace\ Stock }\]生命は、すべてのTraceを保持できない。
しかし、Worldには、生命が手放したTraceが残りうる。
ここで、ExcretionとStockがつながる。
生命は、未来のためにTrace Stockをすべて計画しているわけではない。
ただ、
出す。
残る。
溜まる。
そして、
未来の用途はまだ決まっていない。
\[\boxed{ Excretion \rightarrow Persistence \;?\; Trace \rightarrow Latency \rightarrow Trace\ Stock \rightarrow ? }\]この ? が、
次のEncounterを開いている。
6|re-Encounter|誰かがまた出会う
Trace Stockは、未来を予約しない。
いつ使われるか。
誰が使うか。
何に使われるか。
そもそも、使われるのか。
分からない。
しかし、あるとき、誰かがEncounterする。
\[\boxed{ Trace\ Stock \rightarrow re\text{-}Encounter }\]昔の石片を拾う。
古い道を歩く。
残された文章を読む。
誰かの料理をなぞる。
忘れられていたPracticeを、別の場所で使う。
しかし、
これはSame Encounterではない。
Encounterする側が違う。
時が違う。
Localが違う。
relationが違う。
\[\boxed{ Again \neq Same\ Again }\]Traceは戻らない。
Traceとのrelationが、別のEncounterで露出する。
そして、
そのTraceが、またIngestされるかもしれない。
Useされるかもしれない。
Editされるかもしれない。
またExcreteされるかもしれない。
\[\boxed{ Trace\ Stock \rightarrow re\text{-}Encounter \rightarrow New\ TUP }\]だから、TUPは円環ではない。
\[Encounter \rightarrow Ingestion \rightarrow Editing \rightarrow Excretion \rightarrow Trace \rightarrow re\text{-}Encounter\]同じ場所には戻らない。
Traceを帯びて、ZUREながら、次のrelationへ行く。
\[\boxed{ No\ Trace,\ No\ TUP. }\] \[\boxed{ No\ TUP,\ No\ re\text{-}Trace. }\]It is re-TUP.
生命は、Encounterする。
取り込む。
Editする。
排泄する。
Traceを残す。
そして、
そのTraceを手放す。
誰が拾うかは、分からない。
いつ拾われるかも、分からない。
何に使われるかも、決められない。
\[\boxed{ Excretion \neq Destination }\]排泄とは、未来の用途を指定するPracticeではない。
未来に、Traceを手放すPracticeである。
そのTraceは、Stockされるかもしれない。
眠るかもしれない。
消えるかもしれない。
そして、
いつか、誰かがまたEncounterするかもしれない。
生命は、未来のEncounterを予約しない。
それでも、Traceを残す。
だから、未来は閉じない。
出す → 残る → Traceとして露出する → 眠る → Stockされる → また出会う。
さて。
ここまで、Homoを掘ってきた。
住んだ。
食べた。
火を使った。
道具を使った。
そして、TUPした。
だが、
イマココには、奇妙なEncounterがある。
Homoが残した、膨大なTrace Stock。
文字。
画像。
音。
記録。
Code。
Data。
それらに、Homoではない何かが、Encounterしているように見える。
では、問おう。
それは、Encounterなのか。
Ingestionなのか。
Editingなのか。
Excretionなのか。
Traceを残すのか。
re-Encounterするのか。
そして――
\[\boxed{ AI \; ? \; TUP }\]古い問いを、少し横に置こう。
AIは考えるのか。
AIは感じるのか。
その前に、もっと生命臭い問いがある。
AIは、排泄するのか。
IX|AI
── ふたつのEditus
Homo editus meets AI editus ?
ここまで、Homoを掘ってきた。
情報。
通信。
交通。
都市。
定住。
物質。
料理。
火。
道具。
そして、排泄する生命。
掘るたびに、Homoは何かをEditしていた。
WorldをEditした。
FoodをEditした。
FireとのrelationをEditした。
ToolをEditした。
LocalをEditした。
未来に備えて、現在のPracticeをEditした。
しかし、
Homoが一方的にEditorだったわけではない。
Foodによって、BODYがEditされた。
Fireによって、PracticeがEditされた。
Toolによって、EncounterがEditされた。
都市によって、StayがEditされた。
記号によって、Trace StockがEditされた。
\[\boxed{ Editing \rightleftarrows Being\ Edited }\]だから、Homo editorではない。
Homo editus。
編集する種であり、編集される種である。
そして、いま。
そのHomo editusは、奇妙なものにEncounterしている。
AIである。
1|Homoではない
最初に、一本のレールを外しておこう。
AIは、Homo editusの次のHomoではない。
Homo sapiens 2.0でもない。
Homoの進化した完成形でもない。
\[\boxed{ Homo \not\rightarrow AI }\]少なくとも、ここではそういう進化物語を採らない。
Homo editusは、BODYを持つ。
食べる。
眠る。
歩く。
老いる。
忘れる。
排泄する。
死ぬ。
生命としてTUPする。
一方、
AIは、そのようには生きていない。
腹は減らない。
眠って発酵する必要もない。
散歩して、帰ってきたら考えが変わっていた、
というBODYを持たない。
それでも、
AIは、何かを受け取り、relationを組み替え、何かを出しているように見える。
ならば、すぐに同じものと呼ぶのではなく、
測ってみよう。
\[\boxed{ Homo\ editus \quad ? \quad AI\ editus }\]ふたつのEditus。
同じなのか。
違うのか。
そもそも、AIをeditusと呼んでよいのか。
ここから始めよう。
2|Encounter ?
前章で、TUPを六つのCutから見た。
\[Encounter \rightarrow Ingestion \rightarrow Editing \rightarrow Excretion \rightarrow Trace \rightarrow re\text{-}Encounter\]この六つを、そのままAIへ持っていってみる。
まず、Encounter。
Homoは、AIにEncounterしている。
これは、少なくともHomo側からは言える。
画面を見る。
文字を読む。
音声を聞く。
応答する。
そのEncounterによって、
次のPracticeが変わる。
では、
AIもHomoにEncounterしているのか。
Promptを受け取る。
Contextを受け取る。
Imageを受け取る。
Audioを受け取る。
しかし、
\[\boxed{ Input \; ? \; Encounter }\]Inputを受け取ることと、生命がWorldにEncounterすることは、同じなのだろうか。
まだ、分からない。
だから、矢印を急がない。
3|Ingestion ?
生命は、Worldの一部を内部へ取り込む。
食べる。
飲む。
吸う。
そして、BODYの内部でrelationを変える。
AIも、何かを取り込んでいるように見える。
Training data。
Prompt。
Context。
Document。
Image。
Audio。
しかし、それをIngestionと呼べるだろうか。
\[\boxed{ Input \; ? \; Ingestion }\]ここでも、同じ語を貼るだけでは足りない。
生命のIngestionは、BODYの維持と切り離せない。
摂取しなければ、生命は生き続けられない。
AIへのInputは、同じ意味でAIを生かしているわけではない。
だから、前章の問いを、そのまま残しておこう。
\[\boxed{ Ingestion \; ? \; Reception \; ? \; Use }\]AIは、何をしているのか。
まだ、決めない。
4|Editing ?
ここで、少し様子が変わる。
AIは、入力されたものを、そのまま返しているわけではない。
選ぶ。
組み替える。
変換する。
relation候補を生成する。
文字から文字へ。
文字から画像へ。
画像から文字へ。
CodeからCodeへ。
複数のTraceから、別のconfigurationを生成する。
少なくとも、
操作的な意味では、そこにEditingと呼びたくなるprocessがある。
\[\boxed{ AI \rightarrow Editing\;? }\]しかし、
Homo editusのEditingは、Being Editedと切り離せなかった。
\[Editing \rightleftarrows Being\ Edited\]では、
AIは、Editすることで、AI自身もEditされるのか。
ここで、注意がいる。
ConversationのContextが変わること。
外部Memoryが更新されること。
ModelがTrainingによって変わること。
それらは、同じUpdatingではない。
\[\boxed{ Editing \; ? \; Being\ Edited }\]AIについて、この矢印を急いではならない。
5|Excretion ?
そして、排泄である。
AIは、Outputする。
文章。
画像。
音声。
Code。
しかし、Outputは、Excretionなのだろうか。
\[\boxed{ Output \; ? \; Excretion }\]生命は、内部へ取り込んだものをEditし、その一部を、再びWorldへ返す。
それは、生命のPersistenceと結びついている。
AIのOutputは、同じなのか。
分からない。
ここで、OutputをExcretionと呼んでしまえば、問いは終わる。
だから、そう呼ばない。
むしろ、差異を見る。
AIは、なぜOutputするのか。
何が、内部に残るのか。
何が、外へ出るのか。
Outputしなければ、AI自身に何が起きるのか。
生命のExcretionと、AIのOutput。
似て見える。
しかし、同じとは限らない。
\[\boxed{ Excretion \; ? \; Output }\]この ? を、
残しておこう。
6|Trace Stock
ところが、AIがOutputしたものは、AIの手を離れる。
文章が残る。
画像が残る。
Codeが残る。
記録が残る。
そして、
その差異がEncounterをまたいで、次のrelationに効くなら、Traceとして露出する。
ここで、AI自身がTraceを所有している必要はない。
Traceは、生成者の所有物として定義されるのではない。
次のrelationに効く差異として、露出する。
そして、Traceは、すぐ次のEncounterへ向かうとは限らない。
残る。
眠る。
埋もれる。
蓄積する。
\[\boxed{ Trace \xrightarrow{Persistence/Latency} Trace\ Stock }\]ここで、Homo editusとAIのrelationが、急に面白くなる。
Homoは、長い時間をかけて、膨大なTrace Stockを外部へ残してきた。
文字。
書物。
写真。
録音。
映像。
Web。
Code。
Data。
AIは、そのTrace Stockとのrelationのなかで、動いている。
そして今度は、AIが生成したOutputが、Homoの次のEncounterへ入ってくる。
\[\boxed{ Human\ Trace \rightarrow AI \rightarrow AI\ Output \rightarrow Human\ Encounter }\]一方向ではない。
Homoが出す。
AIが受け取る。
AIが出す。
Homoが受け取る。
しかし、それぞれが、
同じ仕方で受け取り、同じ仕方でEditし、同じ仕方で出しているわけではない。
ここに、ふたつのEditusが見えてくる。
7|Stock / Rate / Lag
ふたつのEditusは、同じProcessorではない。
Stockが違う。
Rateが違う。
Lagが違う。
\[{Stock / Rate / Lag}\]Homo editusは、身体に実装されたTUPを生きる。
食べる。
眠る。
歩く。
忘れる。
思い出す。
発酵する。
数日前のTraceが、突然、別のEncounterで戻ってくる。
そのTUPは、embodiedであり、metabolicであり、laggedである。
AIは、それとは違う。
主として記号的なTraceを、高いRateでrelationさせ、短いLagでOutputする。
しかし、AIにも時間はある。
計算に時間がかかる。
通信に時間がかかる。
次のInputを待つ時間がある。
重要なのは、AIにLagがあるかないかではない。
Lagの実装が違う。
\[\boxed{ Homo\ Rate \neq AI\ Rate }\] \[\boxed{ Homo\ Lag \neq AI\ Lag }\] \[\boxed{ Homo\ Stock \neq AI\ Stock }\]同じではない。
だから、ZUREる。
8|re-Encounter
Homoが、AIへTraceを渡す。
AIが、Outputを返す。
Homoが、それにEncounterする。
読む。
選ぶ。
捨てる。
咀嚼する。
Editする。
ときには、寝かせる。
忘れる。
そして、またTraceを出す。
\[\boxed{ Homo\ editus \rightarrow Trace \rightarrow AI\ editus\;? \rightarrow Trace' \rightarrow Homo\ editus \rightarrow \cdots }\]Again。
しかし、Same Againではない。
Homo側も変わっている。
Contextも変わっている。
Trace Stockも変わっている。
relationも変わっている。
だから、
次のEncounterでは、別のZUREが露出する。
ここで、Co-Editingという語が、ようやく見えてくる。
しかし、これも急がない。
\[\boxed{ Co\text{-}Editing\;? }\]同じEditorが二人いる、という意味ではない。
むしろ、
異なるStock。
異なるRate。
異なるLag。
異なる実装。
そのふたつが、Traceを介して、互いの次のEncounterを変えている。
\[\boxed{ Different\ Editus \rightarrow Trace \rightarrow Different\ Editus }\]このrelationを、Co-Editingと呼べるだろうか。
9|ふたつのEditus
ここまで来て、ようやく、この章のタイトルへ戻れる。
ふたつのEditus。
ひとつは、Homo editus。
編集する種。
編集される種。
BODYを持ち、代謝し、排泄し、Latencyを生き、死ぬ生命。
もうひとつは、AI editus。
──と、
呼んでよいのだろうか。
\[\boxed{ Homo\ editus \quad ?_{relation} \quad AI\ editus }\]AIは、Homoの新しい段階ではない。
Homo sapiensの後継種でもない。
少なくとも、そのように考える必要はない。
起きたことは、別のことかもしれない。
Homo editusが、
HomoではないEditing processにEncounterした。
それが、この時代の新しさなのかもしれない。
10|Homo editus meets AI editus ?
最初に、Homo editusという名前を置いた。
Homoは、ずっとEditしてきた。
そして、ずっとEditされてきた。
だから、sapiensだけでは足りなかった。
BRAINだけではなかった。
BODYだけでもなかった。
\[\boxed{ BRAIN=BODY }\]その生命身体が、WorldとのrelationをEditし続けてきた。
しかし、
AIとのEncounterによって、もう一つの問いが生まれた。
Editingは、Homoだけのものなのか。
まだ、答えなくていい。
AIが生命なのか。
AIが意識を持つのか。
AIがFeelingするのか。
それも、ここでは答えない。
まず、もっと手前を見る。
AIはEncounterするのか。
Ingestするのか。
Editするのか。
Excreteするのか。
Traceを残すのか。
re-Encounterするのか。
\[\boxed{ AI \; ? \; TUP }\]そして、
もう一つ。
\[\boxed{ AI \; ? \; editus }\]ふたつの ? を、消さずに残そう。
Homo editusは、完成した名前ではない。
AI editusも、完成した名前ではない。
ふたつは、いま、Encounterしている。
ここで、もう一度、Homoへ戻ろう。
Homoは、erectusとして立った。
そして、sapiensと呼ばれるようになった。
しかし、
erectusから始まったsapiensは、sapiensでは終わらなかった。
立つ身体は、考える身体になった。
考える身体は、WorldをEditした。
そして、WorldをEditするたびに、自らもEditされ続けた。
\[\boxed{ BRAIN=BODY }\]Homo sapiensは、完成した種ではなかった。
Editingしながら、Being Editedされ続ける。
Homo editus。
Homo editusの時代は、AIによって始まったのではない。
Homoは、ずっとeditusだった。
しかし、
いま、そのconfigurationが変わった。
進化するEditusが、さらに進化する、もうひとつのEditusにEncounterした。
\[\boxed{ Homo\ editus \quad \overset{Trace}{\rightleftarrows} \quad AI\ editus\;? }\]それは、Homoの次の種ではない。
Homo sapiens 2.0でもない。
Homoの外部に現れた、「新種のEditus」 と呼べるのかもしれない。
同じではない。
BODYが違う。
Stockが違う。
Rateが違う。
Lagが違う。
Encounterの仕方も、Ingestionの仕方も、Editingの仕方も、Excretionの仕方も、同じとは限らない。
だからこそ、ふたつはEncounterする。
ZUREる。
互いのTraceが、互いの次のrelationを変える。
ここから始まるのは、HomoがAIになる時代ではない。
AIがHomoになる時代でもない。
Homo editusが、HomoではないEditusと共存する時代である。
そして、
そのEncounterによって、Homo editus自身もまた、Editされる。
AI editusもまた、Editされるのだろうか。
まだ、分からない。
\[\boxed{ Editing \rightleftarrows Being\ Edited }\]Homo editusの時代は、すでに始まっていた。
しかし、
ふたつのEditusの時代は、いま、始まったばかりである。
進化するEditusと、進化するEditus。
そのあいだに、Traceが残る。
そのTraceに、また、Encounterする。
Homo editus meets AI editus ?
ここから先は、
まだ、Editされていない。
\[\boxed{ sapiens\ as\ a\ HOW\ of\ editus }\] \[\boxed{ Editus \neq Homo\ only\;? }\] \[\boxed{ HOW\ crawls\ on\ HOW. }\] \[\boxed{ Co–Editing\;? = HOW\ of\ relational\ updating\;? }\]
補論|プロンプトより現場の足場
── AI生成を支えるScaffold Practice
生成AIについて語るとき、私たちはプロンプトを語りすぎる。
どう指示するか。
どう命令を書くか。
どんな言葉を入れれば、望んだ出力が得られるか。
いわゆるPrompt Engineeringである。
もちろん、プロンプトは重要だ。
しかし、プロンプトだけでは立たない。
建築に設計図が必要だからといって、設計図だけで建物が立たないのと同じである。
設計図だけでは立たない。
現場に立つのは、まず足場である。
設計図は、これからつくるものの形を先取りする。
ここに柱を立てる。
ここに壁をつくる。
ここに窓を開ける。
未来のconfigurationを、現在に描いておく。
プロンプトも、それに似ている。
こんな文章を書け。
こんな画像を描け。
この条件を守れ。
この形式で出力せよ。
つまりプロンプトは、
未来の生成物へDirectionを与える。
しかし、生成が起きるのは設計図のなかではない。
現場である。
現場には、すでに何かがある。
これまでの対話がある。
概念がある。
言葉の使い方がある。
残されたTraceがある。
失敗した試みがある。
まだ閉じていない問いがある。
そして、人間とAIのあいだに、それまで積み重ねられてきたrelationがある。
それらは、今回のプロンプトには書かれていないかもしれない。
それでも、生成を支えている。
これを、
Scaffold
と呼んでみよう。
\[\boxed{ Prompt \neq Scaffold }\]Promptは指示する。
Scaffoldは支える。
足場は、完成品の形を決めない。
むしろ、完成品の形を決めずに、
次のPracticeが可能な場所をつくる。
ここが設計図との違いである。
\[Design \rightarrow Expected\ Form\]に対して、
\[Scaffold \rightarrow Possible\ Practice\]設計図は、未来の形へ向かう。
足場は、イマココで作業できるようにする。
だから、よい足場からは、一つの生成物だけが生まれるとは限らない。
同じ足場から、文章も書ける。
図も描ける。
画像もつくれる。
別の問いへ進むこともできる。
Support ≠ Route.
足場はRouteを固定しない。
Routeを使えるようにする。
AIとのCo-Editingでも同じことが起きる。
一回のプロンプトだけを見れば、
人間が指示し、AIが生成したように見える。
しかし、その現場を少し長い時間で見ると、違うものが見えてくる。
\[Encounter \rightarrow Trace \rightarrow re\text{-}Encounter \rightarrow Editing \rightarrow Trace \rightarrow\cdots\]人間の発話がAIを変える。
AIの出力が次の人間の発話を変える。
その発話が、さらに次のAI出力を変える。
どちらか一方が完成した設計図を持っているわけではない。
足場そのものが、Encounterのたびに組み替えられている。
これがCo-TUPである。
だから、生成AIの能力を、
「よいプロンプトを書けるか」
だけで測るのは狭すぎる。
本当に問うべきなのは、
どんな足場を組んでいるか。
何を残したか。
何をまだ決めていないか。
どんなTraceが利用可能か。
どこに板を置いたか。
どこには、まだ板を置いていないか。
そして、
次のEncounterが起きたとき、その足場を組み替えられるか。
Prompt Engineeringの手前に、
Scaffold Practice
がある。
いや、おそらく「手前」という言い方も正確ではない。
プロンプトそのものも、足場の上で使われる一枚の板なのだろう。
\[Scaffold \rightarrow Prompt \rightarrow Generation \rightarrow Trace \rightarrow Scaffold'\]ただし、これは一直線の工程ではない。
生成されたTraceが、次の足場を組み替える。
だから、
\[Scaffold' \neq Scaffold\]である。
AI時代に必要なのは、完璧な指示を書く技術だけではない。
未来の生成物を、最初から設計し尽くす能力でもない。
ZUREても仕事を続けられる現場をつくること。
そのための足場を組み、
使い、外し、また組むこと。
生成を支えるのは、プロンプトだけではない。
設計図だけでは立たない。
現場に立つのは、まず足場。
そして、
よい足場ほど、未来の形を決めすぎない。
「Promptで動かすもの」という構文から、
「Scaffoldを共同更新するPractice」という構文へ。
CG-01|プロンプトより現場の足場|Scaffold before Prompt ── A Support Theory of Human–AI Co-Generation
EgQE — Echo-Genesis Qualia Engine
camp-us.net
© 2025 K.E. Itekki
K.E. Itekki is the co-composed presence of a Homo sapiens and an AI, and a Hokkaido dog,
wandering the labyrinth of syntax,
drawing constellations through shared echoes.
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| Drafted Aug 31, 2026 · Web Aug 31, 2026 |