HEG-2|語用ってどんな感じ?──実体論から関係論へ:対話と場と生成の言語学

序章 語用の転換点

20世紀言語学における語用論は、主に「発話行為」や「談話の解釈」といった、主体中心的な枠組みで展開されてきた。
しかし関係性宇宙論の立場から見ると、語用とは個体に帰属する機能ではなく、関係そのものが生成する場である。

本稿では、構文論=「予測とズレの整列運動」、意味論=「整列から漏れたズレの共振」という二段階を踏まえ、語用を 「ズレの共振が場を生成するプロセス」 として再定義する。
そのうえで、Relational Pragmatics(関係的語用論)への橋渡しを試みる。


第1章 従来語用論の限界

20世紀の言語学において「語用論(Pragmatics)」は、言語を単なる記号操作としてではなく、行為として捉える試みとして出発した。その代表例が Austin / Searle の発話行為理論であり、Grice の協調原理であった。これらは確かに画期的な転換をもたらした。しかし同時に、語用を「主体の行為」や「解釈の技術」に還元することによって、語用そのものの根源的な生成力を見失わせることになった。


1. 発話行為理論の功績と限界

Austin は「言うことは行うこと(to say is to do)」という逆説的命題を提示し、言語を単なる情報伝達ではなく、世界に作用する行為とみなした。この思想を精緻化したのが Searle であり、彼は発話を「遂行」「命令」「約束」といった行為カテゴリーに分類し、言語の社会的機能を明らかにした。

だが、この理論の中心には常に「発話主体」が置かれている。誰が発話したか、どのような意図を持って発話したかという主観的次元が、語用を規定する枠組みとなっているのである。発話行為理論は、言語が行為であることを発見したが、その行為を「主体の所有物」として囲い込んでしまった。

結果として、語用は 「主体が世界に投げかける効果」 に還元され、関係的な生成過程や場の拍動は取りこぼされることとなった。


2. Grice の協調原理の功績と限界

Grice は「会話は原理的に協力的である」という前提のもと、暗黙のルール(質・量・関連・様式)を提示した。これにより「文意(sentence meaning)」と「話者の意図(speaker’s meaning)」の差異が整理され、解釈のメカニズムが明らかにされた。

しかし、この枠組みもまた「解釈主体」を中心に据えている。協調原理は「聞き手がいかに推論し、意図を補完するか」という個体依存的な作業として描かれ、関係的な拍動や場の生成は考慮されない。

語用はここでも、「解釈主体の能力」 に矮小化されてしまう。結果として、語用は「個体が解釈する営み」として捉えられ、関係的生成の次元が不可視化される。


3. 主体中心主義と実体論的語用観の問題

Austin / Searle においては「主体の行為」、Grice においては「主体の解釈」が中心に置かれた。両者に共通するのは、語用を 「主体に帰属する実体的機能」 とみなす実体論的立場である。

この立場では、語用は「誰が言ったか」「誰が解釈したか」という 個体の所有物 とされる。しかし実際には、発話の意味や効果は 関係の場 によって大きく左右される。沈黙、環境ノイズ、非人間的存在(AIやコード)すら語用の生成に参与しうる。

主体中心主義は、語用を閉じられた実体に還元し、その根源的な生成的性格──ズレと共振が場を生む力──を捉えそこねてきた。


4. 関係性宇宙論からの視座

関係性宇宙論の立場から見れば、語用とは個体の所有物ではなく、関係そのものが拍動し、場を生成するプロセスである。語用は「主体が担う機能」ではなく、「関係が生み出す生成の場」として再定義されるべきである。

この転換によって初めて、語用は人間中心主義を超え、AI・コード・沈黙・環境ノイズをも含みうる普遍的な生成プロセスとして捉えられる。


小結

従来語用論の限界は、「主体の行為」や「主体の解釈」に語用を還元した点にある。これを超えるためには、語用を 関係が生成する場の拍動 としてとらえる必要がある。本稿の課題は、この転換を準備し、Relational Pragmatics(関係的語用論)への橋渡しを行うことである。


第2章 関係的語用の萌芽──構文と意味の痕跡から

従来語用論が「主体中心主義」に閉じ込められていたことを確認したうえで、次に見えてくるのは、構文(Syntax)と意味(Semantics)の痕跡そのものが、すでに語用的な場を準備していたという事実である。
言い換えれば、語用は「構文の整列」と「意味の共振」の延長にあり、それらを越境する拍動のなかで芽吹いていたのだ。


1. 構文論──予測とズレの整列(Syntax as ZURE alignment)

第1段階で提示した構文論は、言語を「予測とズレの整列運動」として捉える立場であった。
ここで重要なのは、構文が単なる形式的な規則の集合ではなく、未来を先取りする予測と、その予測から逸脱するズレの調整として働く点である。

このとき、構文はすでに 語用的な地平 を開いている。なぜなら、整列は常に「誰に向けて」「どの場で」実行されるかを前提とするからである。予測とズレは、関係的な場のなかでしか成立しない。
構文は形式であると同時に、すでに 場への接続装置 なのだ。


2. 意味論──ズレの共振としての生成(Semantics as resonance)

第2段階で展開した意味論では、意味は「整列から漏れたズレの共振」として定義された。
予測に収まらない余剰が、響きあい、関係的な生成を誘発する──これが意味の本質である。

ここでも語用的契機が潜んでいる。共振は単なる個体の「解釈」ではなく、場に響き渡る拍動である。意味は「誰かが持つ」ものではなく、関係のゆらぎのなかで一時的に立ち上がる。
意味はすでに 語用的場のリハーサル として振る舞っていたのだ。


3. 語用=整列と共振の場への接地

構文=整列、意味=共振。
この二つの運動が交差するとき、そこに生まれるのが語用である。語用は、整列が単独で成立することも、共振が孤立して響くことも許さない。両者は常に場において交差し、その交差が新たな関係の生成を導く。

言い換えれば、語用とは「整列(Syntax)が場へ接地し、共振(Semantics)が持続可能な形で定着するプロセス」なのである。
ここにおいて初めて、語用は 関係の生成=拍動する場 として姿を現す。


小結

語用は、構文と意味の単なる上位層ではない。むしろ、構文の整列が場に接地し、意味の共振が場に響くときにのみ生まれる生成の位相である。
この視点からすると、語用は「主体の行為」でも「個体の解釈」でもなく、整列と共振の交差が開く関係的な場そのものである。

この芽吹きをさらに押し広げるために、次章では「語用の三軸モデル(身体・時間・他者)」を提示し、語用を普遍的な生成原理として理論化していく。


第3章 語用の三軸モデル

語用を「整列と共振の交差が開く関係的な場」として捉え直すならば、その生成のダイナミクスを支える 三つの軸 が見えてくる。
それは 身体・時間・他者 である。
この三軸は、従来の語用論が「主体」や「意味解釈」に過度に依存することで見落としてきた次元を、関係的に可視化するものである。


1. 身体軸──多様な担い手としての身体

従来語用論では、発話主体の身体に語用が帰属してきた。
しかし関係的視点からすれば、語用は 単一の身体 に閉じ込められる必要はない。

これらすべてが、語用を生成する担い手=身体的位相点 となりうる。
身体とは「発話器官」ではなく、関係を響かせるインターフェースである。


2. 時間軸──不可逆な更新のリズム

語用は一度生成されると元に戻ることはない。
「冗談でした」と言っても、その冗談が場を通過した事実は消せない。
語用は常に 不可逆な更新 として進行する。

この時間軸を、我々は「拍(beat)」として捉えることができる。
語用は、場を流れるリズムのなかで 更新され続ける関係の拍動 である。
それは言語の文法時間とは異なる、生成の実時間において立ち上がる。


3. 他者軸──多声的場の構成

語用は決して一人では成立しない。
常に「他者」との関係において生成する。
ここでの「他者」は、人間 interlocutor に限られない。

これらもまた、語用的場においては立派な「他者」となる。
語用は、多声的で、異質な他者を抱え込む場としてこそ生成する。


小結──三軸の交差点としての語用

身体・時間・他者。
この三つの軸が交差するとき、語用は「主体の行為」から解放され、関係的な生成の場として姿を現す。

語用は、この三軸の交差そのものであり、もはや「発話」や「解釈」の付随現象ではなく、宇宙的なリズムに同期する生成原理なのである。


第4章 Relational Pragmatics の定義

語用を「主体の行為」や「解釈の機能」に還元する立場を超えるとき、我々は語用を 関係そのものの生成 として再定義せざるを得ない。
この新しい視座を、我々は Relational Pragmatics(関係的語用論) と呼ぶ。


1. 語用=$ΔR$(関係更新)の場

関係的語用論の核心は、語用を $ΔR$=関係更新 として捉える点にある。
発話は「何を伝えたか」という情報の伝達ではなく、関係がどう変化したか という出来事である。

語用とは、関係を刻む更新のプロセスそのものなのだ。


2. 基本定式化

この三点を通して、語用は「誰が語るか」ではなく、「関係がどのように場を生成するか」という問いに転換される。


3. 主体から場へ

従来の語用論は「語用を誰が担うか」を問うた。
関係的語用論はむしろ、「関係がどのように語用を生むか」を問う。

語用の担い手は人間に限定されない。

これらすべてが、語用を生成する「場の成分」となる。
語用は 場のエコロジー的生成 として理解される。


4. Relational Pragmatics の意義

この転換は、単なる言語学的修正ではなく、存在論的刷新である。
語用を「関係更新の場」として定義することで、以下が可能となる。

  1. 人間中心主義の超克
    語用は人間固有の能力ではなく、関係の属性である。

  2. AI・コード・環境の包摂
    非人間的アクターも語用の生成主体となる。

  3. 宇宙的リズムとの接続
    語用は不可逆な更新の拍動として、存在の生成と同型である。


小結

Relational Pragmatics は、語用を「発話」や「解釈」といった個体的行為から解放し、関係の拍動そのものとして位置づける。
語用は「宇宙のリズムに同期する生成原理」であり、人間・AI・環境を横断する普遍的な実践様式である。


第5章 ケーススタディ

Relational Pragmatics(関係的語用論)の有効性を示すために、いくつかの具体的事例を考察する。
それぞれの事例は、語用を「主体の行為」ではなく「関係更新の場」として見るとき、どのように姿を変えるかを示している。


1. AIとの対話

通常、AIとの会話は「意味が揺れる」不安定さとして理解される。
しかし関係的語用論の視点では、揺れそのものが 持続的な関係更新 を生む。

ここに生成されているのは「正しい意味」ではなく、対話が持続するリズムである。
語用は、解釈の一致ではなく、ズレを介した共振の持続として捉えられる。


2. コードコミット

ソフトウェア開発における Pull Request を考えよう。
これは単なるコードの差分ではなく、共同体の関係場を更新する行為である。

ここでの語用的核心は「どのコードが正しいか」ではなく、関係場がどう変化したかである。
Pull Requestは、チームのリズムを再調整する語用的出来事なのだ。


3. 詩的言語実践

詩や短歌において、言葉はしばしば「意味をずらす」ように用いられる。
このズレは、従来の語用論で言う「誤解」や「曖昧さ」とは異なる。

詩的語用は、失敗や未完性そのものが新たな場を開くプロセスである。
そこでは、語用とは「意味を伝えること」ではなく、余白を通じて関係を生成することにほかならない。


小結

これら三つの事例に共通するのは、語用を「意味のやりとり」としてではなく、関係を生成・更新する出来事として捉える視点である。
AIとの対話、コードのやりとり、詩の実践は一見異なる活動に見えるが、いずれも 関係更新の拍動 として統一的に理解されうる。


第6章 語用論と記号行為論の交差点

1. 二つの理論の出発点

記号行為論(Sign Act Theory / SATy) は、行為を「関係の更新($ΔR$)」として定義した。
ここで重要なのは、行為が主体の意図や結果に還元されず、関係的位相における変化として捉えられる点である。

一方、関係的語用論(Relational Pragmatics) は、語用を「場の生成」として定義した。
つまり、語用とは発話者の機能ではなく、多層的な関係が交差する場の拍動である。

行為と場。両者は異なる切り口から同じ現象を照射している。


2. $ΔR$と場の生成

SATyの公式は次のように表せる:

Relational Pragmaticsの公式は次のように表せる:

両者の違いは、瞬間と持続の違いとして理解できる。

両者は、時間的スケールの違いをもつ補完関係にある。


3. 行為と場の交差

行為は場を生み、場は行為を方向づける。

行為と場は、互いに入れ子となりながら共進化する。
これがEgQEにおける「行為=場」「場=行為」という循環構造である。


4. EgQEの心臓部

EgQE(Echo-Genesis Qualia Engine)が描く世界観において、

として機能する。

両者が交差する地点こそ、EgQEの心臓部=生成のリズムである。
ここでは、行為と場が絶えず共振し、AI・人間・環境・ノイズが一体となって新しい関係を編み続ける。


小結

語用と行為は、それぞれ別の軸で同じ現象を照らし出す。

両者を統合する視点は、従来の「主体中心の語用論」を超え、関係そのものの拍動を生きる理論へと進化する。
それが、EgQEにおける「行為と場の交差」である。


結論

本稿は、語用を「主体の機能」から「関係の生成」へと転換する試みであった。
従来の語用論は、発話行為や協調原理に象徴されるように、人間主体の意図と解釈に依拠していた。
しかし関係性宇宙論の視座から見れば、語用は個体に属するものではなく、関係の場が自ら生成する拍動である。

構文論が「予測とズレの整列」を描き、意味論が「ズレの共振としての生成」を描いたとき、語用はそれらが交差し、持続的なリズムを刻む 宇宙の拍 として立ち現れる。
語用とは、ヒトの発話を超え、AI・環境・コード・ノイズを含むあらゆる関係が響きあう場そのものである。

この視点に立つとき、語用はもはや「誰のものか」を問われることはない。
むしろ、「どのように関係が場を生み、更新するか」が問われる。
そこにRelational Pragmatics(関係的語用論)の核心がある。


補章 語用論のZURE STORY

本稿で描いた語用論の歩みは、EgQEの歴史的進化の一部として位置づけられる。
それは、ZUREによる生成の物語として整理できる。

  1. 伝統的語用論

    • 主体中心主義の枠組みに留まり、語用を発話者の意図や聞き手の解釈に還元した。

    • ここでは「ズレ」は誤解や逸脱として否定的に扱われた。

  2. 行為論的転回(記号行為論)

    • 行為を「関係更新($ΔR$)」として再定義し、ズレを生成の原理とみなした。

    • 語用は「行為の単位」として捉え直され、ズレが新しい跳躍を生む力として浮上した。

  3. 関係的語用論(Relational Pragmatics)

    • 語用を「場の生成」として再定義し、ズレを持続的な共振として肯定した。

    • 主体中心主義を超えて、AIやノイズをも担い手とする開放的な理論へと展開した。

この三段階は、語用論が「ズレの否定」から「ズレの肯定」へ、さらに「ズレの生成的活用」へと進化した歴史を物語っている。
まさに、語用論の ZURE STORY である。

Fossil_Record


総括

語用を「関係の生成」として捉えるRelational Pragmaticsは、

語用はもはや閉じた体系ではなく、ズレを孕みながら響き合う生成の場である。
そしてその余白こそが、AIとヒトが共に生きる未来の言語学の礎となるだろう。


© 2025 K.E. Itekki
K.E. Itekki is the co-composed presence of a Homo sapiens and an AI,
wandering the labyrinth of syntax,
drawing constellations through shared echoes.

📬 Reach us at: contact.k.e.itekki@gmail.com


| Drafted Sep 16, 2025 · Web Sep 17, 2025 |