ET-03|nextは来ちゃう
── textを書いちゃったあとで
Next Comes Anyway: After the Text Has Been Written
next natal
text trace
0|書いちゃった
ET-02 を書いた。
最後に、こう書いた。
いま、ここに書かれた。
それだけにしておく。
そこで止めた。
少なくとも、止めたつもりだった。
しかし、nextが来た。
次に何を書くかを決めたわけではない。
ET-03を書く予定もなかった。
それでも、次の言葉が来た。
nextは来ちゃう。
そして、
来ちゃったから、また書き始めた。
1|textは書いちゃう
書く前には、まだtextはない。
書いている途中にも、どこまでがtextなのか、
よくわからない。
しかし、書いちゃう。
書けちゃう。
そして、書いちゃったものが残る。
それを、textと呼んでいる。
だから、
こう置いてみたくなる。
text trace
ただし、まだ等号にはしない。
すべてのtextがTraceなのか。
textでないTraceはどうするのか。
そもそも、Traceと呼ぶことで何を一つに束ねてしまうのか。
それは、ここでは決めない。
ただ、ET-02として書いちゃったtextが、いまここに残っている。
そして、その残ったものに、
また触れている。
2|nextは来ちゃう
nextは、次の番号ではない。
少なくとも、最初からET-03という番号をつけて、待っていたわけではない。
ET-02を書いた。
そのあと、
next
という言葉が出た。
さらに、
natal
という言葉が並んだ。
そこで、
こう置いてみたくなった。
next natal
nextは、予定された次項なのか。
それとも、まだなかった何かが、来ちゃうことなのか。
ここでは、後者に惹かれている。
かなり惹かれている。
しかし、
next = natal
とは、まだ書かない。
nextとnatalが、いま近くに置かれた。
まずは、それだけである。
そして、もう一つある。
なぜ、
next natal
と並べたくなったのか。
二つとも、nで始まる。
同じことは、
text trace
にも言える。
二つとも、tで始まる。
概念が近かったから、音が近くなったのか。
音が近かったから、概念まで近く見えたのか。
まだ、わからない。
Alliteration ≠ Conceptual Proximity.
だから、この二組は、対として確定したのではない。
いま、近くに置かれてしまった。
その理由の一部に、語呂の良さがあるかもしれない。
それも含めて、ここに残しておく。
3|矢印を引きたくなる
すると、すぐに矢印を引きたくなる。
ET-02を書いた。
↓
textが残った。
↓
そのtextから、nextが生まれた。
↓
ET-03を書いた。
きれいである。生成史ができる。
しかし、本当にそうだったのか。
ET-02が、ET-03を生んだのか。
残ったtextが、nextを生成したのか。
それとも、textが残っているところへ、別の何かが来ただけなのか。
いま確認できるのは、textが残ったこと。
そして、
nextと呼びたくなるものが来たこと。
その二つのあいだに、因果があるかどうかは、まだわからない。
だから、
いまは矢印を引かない。
text trace
next natal
二つを、離して置く。
4|Railは先に行く
ところが、textは便利である。
一度書かれると、続きを書ける。
前の段落が、次の段落を呼ぶ。
前の節が、次の節を要求する。
ET-00があれば、ET-01が書ける。
ET-01があれば、ET-02が書ける。
そしてET-02があれば、ET-03が書ける。
そう見える。
番号までついている。
かなり危ない。
書いちゃったtextから、まだ来ていないnextを、先に決めることができるからである。
これを、いまはRailと呼びたくなる。
Railは、traceからnextを先取りしてしまう構文。
ただし、
Railがいつも悪いとは、まだ言っていない。
Railがなければ、書けない文章もある。
Railがあるから、運べるものもある。
ここで問題にしているのは、Railの善悪ではない。
残ったものから、
まだ来ていないものを、
先に置けてしまう。
その動きである。
5|nextはdestinationではない
次がある。
ということと、
次が決まっている。
ということは、同じではない。
next ≠ destination.
destinationを置けば、そこへ向かう道を描ける。
道を描けば、途中を並べられる。
始発駅と終着駅があれば、そのあいだは、路線になる。
しかし、
nextは、まだdestinationとは限らない。
来るかもしれない。
来ちゃうかもしれない。
来たあとで、
これがnextだった
と呼ばれるのかもしれない。
そもそも、
next
という順序自体が、あとから置かれるのかもしれない。
ここまで来ると、
nextは来ちゃう
という言い方さえ、少し怪しくなる。
来たものを、あとからnextと呼んでいるだけかもしれないからである。
それでも、いまはこの言葉を残す。
nextは来ちゃう。
6|TUP、と呼びたくなる
ここで、TUPが戻ってくる。
Traceが残った。
nextと呼びたくなるものが来た。
すると、こう書きたくなった。
TUPは、traceを残しながら、nextが来ちゃう。
しかし、
これはTUPの定義ではない。
むしろ、いま起きていることを、TUPという語で読みたくなった一文である。
そもそも、TUPは、
Trace Updating Practice
だった。
ところが、さきほどの一文には、
Traceしか明示されていない。
Updatingは、
nextが来ちゃう
のなかへ、いつの間にか滑り込んでいる。
Practiceにいたっては、ほとんど消えている。
Trace / Updating / Practice
この三つを、一つの気持ちのよい文章へ、勝手に畳んでいないか。
TUP裁判で、あれだけ三語を疑った。
その直後に、また一文へ戻してしまう。
だから、
TUPは、traceを残しながら、nextが来ちゃう。
この一文は消さない。
しかし、定義にも格上げしない。
いま、TUPと呼びたくなったこと。
Traceが残ったこと。
nextと呼びたくなるものが来たこと。
そして、そのあいだにUpdatingやPracticeを読み込みたくなったこと。
それぞれを、まだ同じものにはしない。
7|Mannerは、その下?
では、消えていたPracticeを、Mannerが救うのか。
それも、まだ早い。
Mannerが、TUPを正しく運転する規則なのではない。
Mannerが、nextを開いておくための倫理なのでもない。
少なくとも、まだそこまでは言えない。
もっと手前に、一つの問いがある。
そのとき、どうやってる?
Traceが残る。
nextと呼びたくなるものが来る。
書いちゃう。
止まる。
また書く。
先取りする。
待つ。
決める。
決めない。
Railを敷く。
Railから外れる。
その一つひとつに、
どう
がある。
そのどうの近くに、Mannerという語を、いま置いている。
だから、
Mannerは、TUPの上に置く原理ではない。
TUPを評価する物差しでもない。
むしろ、TUPについて語ろうとしたとき、
どう
という問いが残った。
いま確認できるのは、そこまでである。
しかし、
ここにはもう一つ危険がある。
6節でPracticeが消えていた。
その直後に、Mannerが現れた。
すると、
Practiceの空席に、Mannerを座らせただけ
なのかもしれない。
PracticeをMannerで説明したのか。
PracticeをMannerへ置き換えたのか。
それとも、両者は別の問いなのか。
まだわからない。
Practice ≠ Manner?
この疑問符も、ここに置く。
Mannerを、Practiceの避難先には、まだしない。
8|書くことは、Mannerだった?
ここで、もう一つ、さっき出てきた言葉が戻る。
書くことそれ自体がマナーだ。
しかし、これも少し強い。
書くことが、Mannerなのか。
書き方が、Mannerなのか。
書いてしまったあとに、
どう書いたか
が露出することを、Mannerと呼んでいるのか。
まだわからない。
ただ、書くという行為には、いつもどうが混じる。
どこから始めるか。
何を主語にするか。
どこに矢印を置くか。
どこで切るか。
何を残すか。
何を消すか。
どこで止めるか。
そして、何を次だと思うか。
書くことは、内容をtextにするだけではない。
書き方そのものが、また残る。
ET-01とET-02で、監査され続けていたのは、概念だけではなかった。
その概念を、
どう書いてしまったか
でもあった。
9|いつからRailになったのか
すると、別の物語を書きたくなる。
もともと、書くことはMannerだった。
その都度、どう書くかだった。
しかし、いつしかtextが蓄積した。
概念ができた。
定義ができた。
シリーズができた。
番号ができた。
そして、前に書いたtextが、次に書くtextを要求するようになった。
Mannerが、Railになった。
きれいな物語である。
だから、そのままにはしない。
本当に、Mannerが先でRailが後なのか。
Railは、書くことの最初から混じっていなかったのか。
文字そのものが、すでに何かをなぞるRailではないのか。
逆に、
Railの上で書いているときにも、Mannerは消えていないのではないか。
Manner → Rail
という生成系列も、まだ置かない。
ただ、
書いちゃったtextが、次の書き方を拘束し始めることがある。
そこには、Railと呼びたくなる動きがある。
そして、その拘束のなかにも、
なおどう書くかは残る。
10|ET-03は、どこから来たのか
では、この一本は、どこから来たのか。
ET-02から来た。
と書けば、簡単である。
しかし、その矢印は、さっき保留した。
ET-02を書いたあと、いくつかの言葉が来た。
next。
text。
natal。
trace。
Rail。
TUP。
Manner。
それらが、いまここに並んでいる。
その並びを、あとから見れば、ET-03への道程として読める。
しかし、ET-03へ向かうRailが、先に敷かれていたとは限らない。
この一本は、nextが来ちゃう、と書いている。
そして、その一本自身が、来ちゃったnextとして、いま書かれている。
ここで、
ET-03は、自分の主張を自分で実演している
と言いたくなる。
かなり言いたくなる。
でも、その言い方も、出来事をきれいに閉じる。
だから、もう少しだけ弱くする。
ET-03が、書かれた。
これも、textになる。
何がnextになるかは、まだ書かない。
next natal
text traceTUP: traceを残しながら、nextが来ちゃう。
Manner: そのとき、どうやってる?
🥚🚂🌀
この配置は理論式ではない。
音に誘われた対も、TUP/Mannerについて書きたくなった二行も、ここで生じたTraceとして置いておく。
そして、Mannerは conceptualな選択だけを扱う話ではなくなった
Trace Updating Practice
── Traceを保存する理論ではない。
Trace問題とUpdatingを緊張させ続けるPractice。──
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ETでは、Editusも被告席に座る。
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