CABA-03-K|Kosoado
彼の針山と蜘蛛の糸
── 彼処は何処にあるのか
針の山は、最初からあった。
御釈迦様には、見えていた。
極楽の蓮池から下を覗けば、三途の河も、針の山も見える。
芥川は書く。
丁度覗き眼鏡を見るように、はっきりと見える
見えている。
けれど、まだ、
「あの針の山」ではない。
1|釈迦の此処
御釈迦様は、極楽にいる。
蓮池を歩く。
そして、下を見る。
地獄が見える。
針の山が見える。
犍陀多も見える。
釈迦の此処から、地獄は下にある。
針の山も下にある。
けれど芥川は、
「あの針の山」
とは書かない。
ただ、
針の山
と書く。
遠くにある。
下にある。
はっきり見えている。
それでも、「あの」ではない。
2|犍陀多の此処
場面が変わる。
こちらは地獄の底の血の池で
今度は地獄が、
こちら
になる。
犍陀多は地獄の底にいる。
どちらを見ても暗い。
その暗闇の中から、
針の山の針が光っている。
ここでも、針の山はある。
けれど、まだ「あの針の山」ではない。
釈迦には見えていた。
犍陀多にも見えている。
それでも、
「あの」は、まだ現れない。
3|一本の糸
そこへ、蜘蛛の糸が降りてくる。
遠い遠い天上から、地獄の底へ。
釈迦のいる上。
犍陀多のいる下。
そのあいだに、一本の糸が垂れる。
犍陀多は、それを見る。
そして、その糸を登り始める。
芥川は、
「上へ上へとたぐりのぼり始めました」
と書く。
蜘蛛の糸を、たぐる。
上へ。
上へ。
犍陀多が動き始める。
4|上を目指す犍陀多
釈迦は、極楽にいる。
犍陀多は、地獄から上を目指す。
蜘蛛の糸をたぐりながら、登る。
登る。
登る。
やがて疲れる。
そこで、一休みする。
蜘蛛の糸の中途で、
止まる。
そして、下を見る。
遥かに目の下を見下しました
地獄の底にいた犍陀多は、上を見ていた。
蜘蛛の糸を見つけ、上へ登った。
その犍陀多が、今度は、
下を見る。
5|山が動いた
下を見る。
さっきまで自分がいた血の池は、
今ではもう暗の底にいつの間にかかくれて居ります
さっきまで、いた場所。
今では、見えない場所。
犍陀多が動いた。
そのことで、地獄の配置も変わった。
血の池は、いつの間にか、暗の底に隠れている。
そして、針の山も変わる。
それまで、ただの「針の山」だったものが、
「足の下」
になる。
山が歩いたわけではない。
針の山が、地獄の中を移動したわけでもない。
犍陀多が動いた。
そのことで、
山が動いた。
少なくとも、犍陀多の此処から見れば。
6|彼の針山
そして、ここで初めて、芥川は書く。
あのぼんやり光っている恐しい針の山
「あの」が現れた。
ただし、
この「あの」には、もう一つの読み方がある。
針の山は、すでに地獄の底で、ぼんやりと浮かび、恐しい針を光らせるものとして、描かれていた。
だから、この「あの」は、
遠くなった山を指しているだけではなく、
すでに描かれた、あの針の山
を呼び戻しているとも読める。
距離なのか。
既知なのか。
その両方なのか。
ここでは、決めない。
ただ、本文の順序は残る。
犍陀多が動く。
蜘蛛の糸を登る。
途中で止まる。
下を見る。
さっきまでいた場所が、今では下にある。
そして、すでに描かれていた針の山が、初めて、
「あの針の山」
として再び現れる。
7|もう一つの「あ」
「あ」は、もう一つある。
犍陀多が下を見ると、数限りない罪人たちが、蜘蛛の糸を登ってくる。
それを見た犍陀多は考える。
どうしてあれだけの人数の重みに堪える事が出来ましょう。
あれだけ。
「あの針の山」と、「あれだけの人数」。
同じ「あ」系列でも、同じ働きをしているとは限らない。
けれど、一つだけ、本文上の配置として言える。
この二つは、どちらも犍陀多が蜘蛛の糸を登り、その中途で止まり、下を見たあとに現れる。
それ以前には、典型的な「あ」系列は、見当たらない。
8|二つの此処
そして、「ここ」も動く。
いや。
動くだけではない。
犍陀多は、蜘蛛の糸の中途にいる。
そこで、こう書かれる。
ここへ来てから何年にも出した事のない声で
この「ここ」は、いまぶら下がっている糸の中途ではない。
犍陀多が落ちてきた、地獄である。
ところが、そのすぐあと。
犍陀多は、罪人たちが自分のあとを登ってくるのを見て、
折角ここへまでのぼって来た
と考える。
今度の「ここ」は、登ってきた先。
蜘蛛の糸の中途である。
犍陀多の身体は、同じ場所にいる。
けれど、同じ場面に、
二つの「ここ」がある。
来てしまった此処。
登ってきた此処。
前の此処が消えて、次の此処に置き換わったわけではない。
動いたあとにも、前の此処は、
「ここ」として残っている。
そして、いまいる場所も、
「ここ」になる。
此処は、一つではない。
9|彼処は何処にあるのか
では、彼処は何処にあるのだろう。
遠いところだろうか。
けれど、釈迦から見た針の山も遠かった。
下にあるところだろうか。
けれど、釈迦から見た針の山も下にあった。
見下ろしたところだろうか。
それでも、釈迦は最初から地獄を見下ろしていた。
距離だけでは、まだ足りない。
上下だけでも、まだ足りない。
見る方向だけでも、まだ足りない。
しかも、此処は一つではない。
ただ、本文に残された順序はある。
犍陀多が動いた。
蜘蛛の糸を、上へ上へとたぐりのぼった。
途中で止まった。
下を見た。
針の山が、
「足の下になってしまいました」。
そして、
「あの」が現れた。
10|蜘蛛の糸
蜘蛛の糸は、上と下のあいだに垂れている。
釈迦のいる上と、犍陀多のいる下のあいだに。
犍陀多は、その糸をたぐる。
糸に沿って動く。
そして、動いたあとで、下を見る。
蜘蛛の糸は、彼処を指してはいない。
犍陀多が目指すのは、上である。
「あの針の山」は、下に現れる。
上を目指して動いたあと、下に、「あの」が現れる。
蜘蛛の糸をたぐっていたら、針の山まで動いた。
11|彼の針山
『羅生門』には、典型的な「あ」系列が見当たらなかった。
『蜘蛛の糸』には、
「あの」が一つ。
そして、
「あれだけ」が一つ。
「あの」を追ってみた。
すると、針の山にたどり着いた。
針の山を追ってみた。
すると、犍陀多が動いていた。
犍陀多を追ってみた。
すると、蜘蛛の糸があった。
一本の糸を、上へ上へと、たぐっていた。
彼処を探していた。
すると、此処が動いた。
山も動いた。
しかも、動いたあとにも、此処は一つではなかった。
では、
彼処は何処にあるのか。
まだ、わからない。
蜘蛛の糸は、まだ垂れている。
使用本文
芥川龍之介「蜘蛛の糸」青空文庫・新字新仮名版。底本『芥川龍之介全集2』ちくま文庫。初出『赤い鳥』1918年7月。
CABA-03-K-02-DN|Development Note|彼の針山と蜘蛛の糸──採取台帳と視点の監査記録
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